今リマのホテルで現地時間夜の0時で18日となった。食事後4時間ほど眠ったが、もう眠ろうとすることはやめ、写真の整理と日記を書くことにした。
本日は、リマからクスコへ1時間半の移動と標高の低い2,800mウルバンバのホテルへの移動が主体だ。だから居眠りする時間はたくさんある。勿論移動中の楽しみをその分少し削ることにはなるが。
更に今宿泊しているホテルのこの部屋で100Vへの電圧変換をするのだが、PC本体の充電ランプがつかず、ちょっと焦ったが、ランプだけの故障の可能性だけらしいことがわかりホットしたところである。(注釈:帰宅したら故障ではなくランプはついた)。さて出発の16日に話を戻そう。
16日出発
17時15分頃に自宅を出発した。余裕を持たせかつ宇都宮駅で吉野家の牛鍋膳を食べようと思ったからだった。
おいしかった |
おいしく食べ、羽田空港へと向かった。国際線乗り場は成田に匹敵する具合に整備されたりっぱなものだった。
Zカウンターが集合場所 |
Zカウンターを背にして(3枚)
2階 お江戸日本橋を表したものか? |
所定のツアー企画会社カウンターの待ち合わせ場所に20:50頃到着した。本ツアー26人のなかで一番初めだった。手続きは23時頃からの予定だ。購入した週刊誌を読んで時間を過ごした。
段々参加者が集まってきた。添乗員のSさんも来た。時間になり手続き開始である。ユナイテッド航空の受付が23時からのため、それに合わせて手続きが開始されたのだ。
窓側の席だ。サンフランシスコ空港近くから撮影できる。撮影には結構良い位置だ。3人席だからトイレに行くのに大変だけどいたしかたない。
ほぼ定刻17日1:00(サンフランシスコ時間16日8:00)に飛び立った。日本語の話せるシュチュワーデスが一人いた。ほぼベテランを揃えている。この航空会社は昨年10月下旬に羽田・サンフランシスコ線を開通している。
9時間15分のフライト中3~4時間は寝た。酒は体が欲しがっておらず飲まなかった。大体深夜1時まで起きていることなどここ何年かはない。むしろこの時間に起きて一日の活動が始まることさえあるのだ。
食事は出発してから1時間過ぎた頃と着陸2時間前に軽食があった。搭乗率が高く空いた席は一つしかなかったそうだ。アルコールは有料だし、食事は質素だしきっと値段を安くしているのだろう。
一時間後 |
到着二時間前 親子どんぶり |
もっというと、まったくの推測だが、人件費も抑えていると思う。離陸の1時はサンフランシスコでは朝の8時である。そこから9時間余りのフライトだから、残業手当に相当する部分は少ないのではないか?深夜出発のメリットを考えた結果だが、もっとたくさんあるだろう。
どちらにしても必要最小限までコストを削って年金生活者を楽しませてもらいたい。私自身そんなに豪華な食事はいらない。
地図上に飛行機の位置状況などの飛行状況を見ながら、居眠りしながらサンフランシスコに着くのを待った。いつの間にか陽が陰り始めた夕方のサンフランシスコ近くの空からの景色に体が同調し、夕方になって体も疲れてきた、というところだろうか。もう少しで一日も終わりですね、という気持ちになってきている。
実際は、到着後、乗り継いでロスアンジェルスに行き、そこからリマ行きの飛行機に乗らなければいけないのだ。
いつもながら外国では雲の形まで日本と違う、と感じてしまう。今回は雪原のような雲がサンフランシスコ近くの山まで覆っているのだ。これも初めてみる景色だ。
雲に太陽が反射している(写真中央) |
雲が山まで迫っている |
着陸し、面倒な入国手続きを終えて、国内線へ移動した。ユナイテッド航空の機体を多く見た。アメリカの三大航空会社といわれるだけある。
荷物は旅行会社の忠告に従い、機内持ち込みのリュックやウエストポーチに貴重品、PC、カメラ、その他関連機器を入れている。そのPCを別にして検査するのを忘れ、時間がかかってしまった。
今回してきたベルトの着脱が意外と面倒と感じ、ベルトをはずすことにした。添乗員から係官になんでこんなことされなくてはいけないのか?と喰ってかかた人がいて、結果として検査に時間がかかり危なかったことがあるので、そういうことは言わないで協力するよう添乗員から求められた。
ロスアンジェルスまでの時間は1時間20分だった。急いで歩いて12分かけ、ペルー国リマ行のLAN航空の出発手続きカウンターを目指した。なんだかいつの間にかカウンターでの手続きが一番最後になってしまい、急いで検査を受けたが、遅い。もっと早くしてくれ!自分の周りには知った顔はだれもいない。
登場口がチケットのどの数字かもしれず、何と英語で聴いてしまった。通じた。よかった。気持ちは走れ走れ、だが急ぎ足で搭乗口へ着き、手続きは既に開始され誘導を待つ客は誰もいないなか機内へ入った。でもおかしい。知った顔がいない。機内を回ったが知った人は誰もいない。
席に戻り、詳細予定表とチケットを比較して間違いないことを確認した。それからしばらくしてツアー仲間が続々入ってきたので大いに安心した。
その後、後から来た客2人から席を替わってくれ、と言われた。共に奥さんとバラバラの席になったようだ。これもテロからの安全のための航空会社の配慮か。しかし最初の客には移る先が窓側2列の通路側なので断った。
理由は自分は日本からペルーの写真を撮りに来た。機内からも朝のリマ近辺の写真を撮るのだ、と。でもどこまで通じたがわからないが、写真を撮るので窓側に居たい、と相手には通じたようだ。次に来た人は移動先が一番前窓側で足元が広く、トイレに行くにも楽なので受け入れた。
悪評のLAN航空であるが、順調に離陸した。ワインは無料だが一人小さいコップで2杯くらいだ。国際線は液体の持ち込みは大きく制限されているし、この辺がつらいところだ。でも眠り薬としての効果は多少あったようだ。
隣の体の大きいこちらで生活しているらしい中国人はアイマスクをして到着までの8時間強ほとんど寝ていた。漢字の本を持っていたので日本語で日本人ですか?、と聴いたところ、その本を見せてくれた。漢字ばかりだった。中国人だったのだ。
③終わり
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