ガイドのKさんはビューポイントに次々と案内してくれる。そして説明をわかりやすくしてくれる。まずはマチュピチュ遺跡光景を十分楽しんだ。
次に遺跡の中を決められたルート通り観光だ。この遺跡は16世紀初めスペインにインカ帝国が滅ぼされてからもしばらくは人が生活していたがある時急にこの町は捨てられたそうだ。水路から計算した水量から500人くらいの人が暮らせる規模だったのではないか、と。
マチュピチュ山からの伏流水、高さそして構造物に使われる豊富な石等の量条件からこの地に人が町を作ったらしい、と。インカ帝国首都のクスコから110kmの距離などからクスコを征服したスペインは来なかったらしい。金製品がなかったからなのではないか?
インカ帝国は文字を持たなかったのでマチュピチュ遺跡の目的、内容は全て謎であり、今も定説となっていることも少ないようだ。謎めいたところが魅力を増大させているのだろう。
でも人気の秘密はこの地を時間と困難を乗り越え訪れ、その景色のすばらしさに感激し、そしてその素晴らしさを人に伝え、伝えられた人が行ってみたくなり、そして行く。私のようにだ。
こういうスパイラルアップしているのがマチュピチュ遺跡だろう。文化遺産と自然遺産を併せ持つ複合世界遺産である理由も大いに理解できるのだ。
さてガイドのKさんであるが、遺跡観光を終わりバスで13のつづら折りの道を駅に向かって降りている途中、「Good by boy」をやって私たちをびっくりさせたのだ。
これはなにかというと、バスに手を振り、バスが次の道に来るまでに垂直の道を駆け下り、バスに追いつき又手を振ることを繰り返すのだ。当然皆は喜ぶがなかなかできないことだ。でも私たちはこのおもてなしに満足したのは言うまでもない。
遺跡内観光
見張り小屋があんなに 小さくなるほど降りてきた |
町への入口 |
上記写真反対側 ここは単なる入り口ではない 城門をイメージした方が分かり易い 上の穴の開いた石や左右の窪みの構造から どのような戸が使われていたか推定される |
石切り場 このような石が たくさんあったので使って町を作った |
住居跡 見張り小屋のように茅葺されていた |
女王住居跡 実際は不明 |
太陽の神殿 最高神の太陽に 関する遺跡 蘇る時機と考えられて いる冬至に向かいの山の間から 上る瞬間にこの窓から光が入る |
ワイナピチュに登る人 かなり危険とか |
どういう道具と方法で石を削ったかの説明 鉄含有量の大きい石で石を削った 気の遠くなることをしていた |
時計草 中に時計の針のようなものがある 日本にもあるとか言っていた人がいる |
コカ 茶のような葉 私にはわからなかった |
聖なる広場 三つの目 |
主賓殿(7つの目) 傾いた原因は地盤沈下らしい |
中央広場 藤森さんのひとつ前の 大統領が広場にあった大きい石を自分が ヘリコプターで乗り付けるため撤去した、と |
日時計説があるが不明 1番高い所にあるから パワースポット説さえある |
上左に見えるのはマチュピチュ(古い峰) |
ワイナピチュ登山入り口付近 |
上写真白黒モード |
聖なる石 このバックの山並と相似形 |
ワイナピチュという花 |
ワイナピチュ登山入り口 |
ここからは北回りで戻ることになる
トウモロコシトウモロコシという花 |
二階建て住居跡 |
来るとき使った道路 つづら折り 13曲がりある |
石臼? 諸説紛々 |
コンドル 敬っているコンドルと比定した 手前が顔 後ろの岩2つが各々左右の羽 下からお供え物とされたらしい動物の骨が出る |
水路の水 マチュピチュ(古い峰)の伏流水 |
見納め もう来ることはないマチュピチュ遺跡 |
リャマ 私の本遺跡最後の写真 |
マチュピチュの町に戻ってきた。
ペルーレイルが街中を走る |
昼食のレストラン 同じ旅行社の 翌日発全日空ツアー16名と会う |
まずまず |
第9代皇帝パチャクテクの像 |
ここ街中を通りたくさん並んだ お土産屋さんからお人形を購入 |
ウルバンバのホテル夕食のマスの料理 |
明日はクスコ⇒リマ⇒イグアスへ移動
⑨終わり
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