2012年11月21日水曜日

航海4日目8月27日(船内生活)

2012年8月27日(月)4日目

曇り時々雨。船内時刻:日本時間ー1h、昨夜24時に一時間遅らせた。昨日より揺れは小さくなったが、オープンデッキに出ることは禁止。

歩数9,728歩、距離約5.8km(但し揺れによるよろめく1歩も60cmとしてカウントしているためもっと少ない値だろう)。台風15号の影響を避けるため予定より南(東?)に進路をとったためダナン到着に遅れが出そう。

2:20起床。前日24時時点で1時間時間を戻した。実際には寝る前に目覚ましと手巻き予備腕時計の時間を戻した。当然のことながら、1時間の時差はなんらの体への影響は考えられない。大雑把にいって3.5日に1時間の時差が生じる(=85日/24h)が、時計をいじらなければいけない手間だけで、体への負担はほとんどない。これが船旅の特徴のひとつでもある。

8階左舷側プロムナードデッキでPC操作開始。いつもの右舷側は数名の若い男女のグループが談笑中だったためである。縦に広い場所であり、離れた場所に位置すれば良いのであるが、遠慮して反対側のデッキに陣取って作業開始である。

中近距離用メガネを船室に忘れたことに気が付いた。5分もあれば往復できる距離でもあり、通常であれば荷物を置いて船室へ取りに行くところであるが、船内は既に外国という自分への意識づけもあり、荷物を置いたまま離席するのはやめた。これが正解だったことは後でわかる。かといってPCをとじて、リュックに取り出した荷物を戻し、リュックを持ったままメガネを取りに行く気にもならず、メガネをはずしてPC画面に顔を近づけて作業開始である。

3時頃クルーがもうプロムナードデッキの床を掃除機で掃除を始めた。写真整理と日記書き作業は、PCに前日の写真を取り込んだ後、その写真を一度観て、記憶を呼び戻し、前日の船内新聞のスケジュール表を参考に書き進めていっている。写真の詳細な時間は取り込んだ写真に時間表示がされているので必要な場合にはそれを参考にする。

但し本日の時差調整はカメラの時間表示を変更していないので写真表示の時刻は船内時刻より一時間進んでいる。

4時頃星を見るためPCを閉じ、荷物を入れたリュックを持ち、プロムナードデッキから屋外のオープンデッキへ出ようとしたが、外出禁止が解除されていなかった。元の席へ戻り作業を続けた。右舷側、左舷側のプロムナードデッキ(屋内)には大きな窓とイスがたくさんあり、囲碁、将棋、麻雀の道具が用意されている。また海を見ながらの人々の交流の場所でもあり、読書、PC作業等様々なことに利用されている。

昨日とうって変わってかなり波は静かになったため、昨日よりこの屋内デッキへ出ている人の数は増えた。レストランで話を聞いたが、昨日は船酔いで食事を取れず、船室で寝ていた方がかなりおられたようである。我々の船室メイト全4名はそういう人はいなかった。

5時半頃船室へ一度戻ってから、6時開始の太極拳会場へ行った。通常は8階後方のオープンデッキでの実施であるが、デッキへの出入りが禁止されている日は7階前方のブロードウエイが会場である。まだ揺れているので近くの椅子に掴まることができ、これは便利、というところ。朝の出席者は就寝時間が早い高齢者が多いのは当たり前である。朝参加して体を動かすことに意義を感じる。

6時半からは同じ会場で太極拳に続きラジオ体操である。会社生活では、第1だけであったが、ほとんど毎日ラジオ体操をしていた。ラジオ体操終了後9階のビュッフェレストランへ行き、コーヒータイムの後、船室へ寄り、室内に残っていた1名のKさんと共に4階メインレストランへ。

このレストランでは席を自分では決められない。朝はビュッフェなのでお盆上の皿に食べる分を乗せた後、ウエイターがさっさとテーブルへ運んでいってしまう。複数人でいっしょに食事をしたい場合にはその旨を伝えれば良いし、そうでなければ必ずテーブルの大きさにより3~7名の方と合席となり、話をしながら食事をすることができる。

この航海を目一杯楽しもうという目的がほとんどいっしょの人達なので、船内では誰とでも何かちょっとしたチャンスでも話ができるようになる。これは楽しいことだと感じる。この朝食の時には御夫婦で参加された方とごいっしょした。ご主人の定年記念、ということであった。お二人ともお若い。2人部屋だそうだ。

なかには夫婦で参加だが、それぞれが4人部屋にいるケースもあるらしい。勿論その方が価格が安い、ということもあるが、別行動できるメリットがあろう。ちなみに朝ごいっしょした御夫婦は、その後のメニューである社交ダンス、護身術の講座でもお互いが練習相手となっておられた。山形から参加のMご夫婦だ。今朝も1時間近くお話しに花を咲かせながらの朝食であった。


船内生活関係

両側が船室
(船首に向かって)


私のベット
風呂敷であつらえたカーテン

8:30~9:30社交ダンス。講師はN先生
夕食前にもある。運動不足となる船内では数少ない体育系のカルチャースクールである。ブルースからである。参加者も多い。先生は、人数が多いので10組ずつ分かれて練習を、というが連続して練習する人が多い(もちろん待っているべき時は横でである)。それほど熱心な人が多い、ということである。

なんだろうこのエネルギーは?教えられたステップをなかなか覚えられないもどかしさを感じながら繰り返し練習した。参加したなかにはダンスの先生もおられ、講師の先生一人では教えきれないなか、面倒をみてくれていた。汗をかくほどの熱気だ。連続した震度1~3程度の瞬間的な揺れによりふらつきながらのダンスの練習であった。

10:00~11:15。戦後に生まれた私になぜ枯葉剤の影響が?。講師(当航海では水先案内人と称す。以後水先案内人)ヘザー・バウザーさん  7階ブロードウエイ


重い話だった


ヘザーさん

ベトナム帰還兵の娘さんにダイオキシンで知られる枯葉剤による影響で奇形という障碍を持って生まれた方のお話であった。父のDNAに異常が生じたのか?一家は数々の困難にみまわれたようだ。だがこの方は結婚し、健康な子供を授かったとのことなので大いに安心した。

でも隔世遺伝、ということもあるらしくまだ安心はできない、と。遺伝子に影響を与えるほどのダイオキシンを平気で兵器として使う、というのはやはり戦争は人をおかしくしてしまうものらしい。

11:30~12:30護身術。講師:伊藤千尋 8階バイーア
ベトナムとうたの旅人の組み合わせで伊藤さんのジャンルの広さを感じたので、護身術とはこれいかに、という気持ちで会場へ向かった。ベトナムを聴講してから歌の旅人でどのような内容の話になるのか興味をもった話は昨日書いたが、今日もどんな護身術になるのか興味をもち、参加したのだ。

結果はよくTVなどでみかける護身術であった。それ以上でもそれ以下でもなかったので12時頃会場を出て9階ビュッフェレストランで昼食をとった。

食事の後15時まで、8階プロムナードデッキで囲碁をしたり、見たり、椅子に座り海を眺めたりしていた。波が少し静かになったので人が出ている。麻雀は卓一杯で男女同数くらいである。そろそろ自主企画が立ち上がるのであろう。現在は自主企画を募集申請調整段階であるようだ。囲碁・将棋・麻雀は自主企画として実施されるようだ。これらは常設コーナーが用意されている。


8階プロムナードデッキ右舷側ゲームコーナー

囲碁・将棋コーナー


麻雀コーナー

15:00~16:00歌の旅人。伊藤千尋。8階アゴラ


この会場は100人ほどしか入れない
私は一番前で聞いている


講師の伊藤さん
①故郷
作詞の高野さんは長野県の農家の長男であり、現在の文科省に努力して入り、唱歌や国語の係りを担当したとか。そのとき作詞したのが兎追いし・・・、で始まるこの歌であり、自分の経験を取り入れているようだ。

②北上夜曲
作曲の安藤は岩手県の豪農の長男坊で作曲家を志望したがこの一曲を高校生の時作曲しただけで作曲家を断念したようだ。誰が作ったかわからないまま有名になったようで、週刊毎日?(失念した)の週刊誌でとりあげられたことがきっかけで作詞者、作曲者が発掘されたようだ。

週刊毎日などの週刊誌は昭和33年に初刊発行だったのではなかろうか?なぜ知っているかというと父がこの週刊誌のクイズの応募をしていたからである。昭和33年初刊でなくても大きくは違うまい。私がいいたいのは50年はたつが最近の出来事なのだ、ということ。

③涙(なだ)そうそう
作詞:森山良子、作曲:BEGIN
曲と題名が先に決まった後に森山が作詞した作品とか。彼女のやさしかったが20歳を過ぎた頃早世した兄を思って作った詩とか。

④神田川
作詞:喜多条
南こうせつに懇願され作った詩とか。早稲田大学時代の自分の経験をもとにつくったそうな。最後の2行の「やさしさが怖かった」のみ主語が男性とか。デモに参加した作詞者が部屋に戻ると優しい君が作ってくれたカレーライスなど日常の生活に戻る。この現実のギャップを表現しているとか。

 歌の旅人の昨日、本日の計8曲は我々の年代では有名な歌である。そして講師の伊藤さんの話を聞いてうれしく感じ、長く記録に留めたいので、詳しく書いた。明日も楽しみ。

18:30~19:30社交ダンス。本日2回目。
1回目の繰り返しと新たなステップを学んだ。昼より貪欲に練習した。


ダンス練習風景
19:30夕食。4階メインレストラン
合席は本航海英会話先生のニュージーランド出身の若い女性2名と私と同じ年生まれの日本女性であった。この日本女性のEさんは海外旅行をよくするようで会話もスムースであった。外国の方はタコは食べられないと聞いていたが、酢のあえ物にタコがはいっており、隣のニュージランドの女性に請われたのでこのあえ物を戴くことにした。

4階と9階の夕食のメニュー。私は確認したことはなかった。





この後なみ平で酒を飲み21時頃就寝。

終わり

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