2013年10月31日木曜日

ショートクルーズ第2日目10月19日、釜山港(韓国)

2013年10月19日(土)曇り。15,499歩、約9km。船内時刻=日本、本日24時に一時間遅らせる予定
オプショナルツアー:釜山F「世界遺産の新羅文化探訪」10,000円 114名参加 F-2グループ

2時に一度起き、デッキで位置確認用の写真を撮った。壱岐か対馬の灯だろうか?イカ漁の明かり以外に遠くにうっすらと明かりが見える。部屋に戻ると同室のAさんも起きており少し話して又寝た。4:50に目覚ましで目をさましツアー参加の準備をした。


2:39釜山港東沖合から対馬の方向
あの光は島か?船か?

デッキで釜山入港の様子を撮影した。古代から倭国からの交通に使ったであろう釜山入港の様子は感慨深いものであった。私は腰が痛く少し歩くことを意味する靴マークのあるこのツアーは最悪バスでお留守番の可能性がある。

だからなおさら釜山入港の様子を見たかったのである。山が海岸にせまっており任那の日本府は港周辺にあったのでは?などと根拠のないことを想像しながら観ていたのだ。結構寒い。


5:12釜山港へ入っていく  満月

釜山港入港(動画)
5:12まだ暗い中釜山港内へ船は進んでいく

6:20にツアーFの「世界遺産の新羅文化探訪」が集合だ。そのため9階ビュッフェは5:30開始と通常より早い。名古屋から参加のNPO法人理事のIさん(この方は一年後のツアーに参加予定とか)にこのレストランのシステムを説明し、ツアーの思い出話をお聞かせした。

さて出発だ。ガイドの金京美さんは40歳くらいか?日本語を上手に使いこなしている。この方の印象で韓国の第一印象は高いものとなった。バスからみる韓国は日本の原風景に近く、とても印象として感じている韓国ではなかった。また近くて遠い国と言われる意味もわかる。

さて本ツアーは新羅(韓国読みは「しんら」というらしい)文化に触れるというので選択したのだ。武力に優れた高句麗や文化が高かった百済ではなく特に強みのなかった新羅が統一したというところに特徴があるようだ。

新羅は高麗までの992年間の歴史があり、都は慶州のみで200万人都市だった(今は20万人)。慶州は韓国語で「キョンジュ」というようだ。


行ってきます

ガイドの金京美さん  日本語もガイドも上手
この人のおかげで韓国の第一印象が
すばらしく良いものとなった

一時間したところでSAでトイレ休憩。旧暦の1日と15日は韓国ではお寺にお参りに行くそうだ。今日はその15日だそうだ。どうりで今日未明は満月だった。だから今日はお寺は人が多いかもしれないという。

石窟庵は1,300年前硬い花崗岩を積み上げて作り上げられた。世界遺産で韓国の国宝である。石窟庵までは15分位歩くそうだ。歩き始めて5分で歩けなくなり、ツアー責任者に入口に戻り待っている旨を伝え離脱した。

一人で待っている間の20~30分の間は聞こえる言葉は日本人と変わらない顔なのに韓国語だけ、というのも不思議な感じだった。

後でガイドの金さんが日本語を釜山で習得し、日本に初めて来たとき、自分の日本語が通用するかは心配だったが、印象として、回りの人みんなが日本語をしゃべるのが奇妙でおかしかった、と言っていたが私の受けた印象と同じことなのかもしれない。


石窟庵(3枚)


ここをくぐると俗世とは別世界?


この場所に来れただけで良しにするしかない。次の仏国寺では全行程を歩くことができた。慶州は奈良と姉妹都市を結んでいるとのことであり、ガイドの金さんは奈良に行ったことがないが、奈良と似ていると言われていると言っていたが、雰囲気は似ているかもしれない。それはそうでしょうね。でも建物の色付けは違うかもしれない。

バスの駐車場の近くで甘栗10個くらいと銀杏を1,500円(15,000ウォン)くらいで買った。味はこれはこれでO.K。


仏国寺では駐車場からも近かったこともあり、全行程を歩くことができた。当然ながら日本のお寺と雰囲気が似ている。


仏国寺

この世とあの世を結ぶ33階段

多宝塔 1,300年前

大雄殿 300年前朝鮮時代

三層石塔解体作業場

1,250年前の大仏 金が20%
両手の結び方に特徴有

ビューポイント

昼食は弁当だ。帰船時間の関係だろうがこれはいただけない。バスの駐車した貴金属屋駐車場近くのレストランは多分ビビンバなどの韓国料理の表示が有り、我々を残念がらせたのだった。Eの釜山市内観光を選択した人達はレストランで昼食であり、大変おいしかったと口を揃えて言っていた。

おいしい韓国料理を食べることを課題として残したようだ。弁当でおいしかったのはキムチだけだった。韓国には日本のような弁当文化はないようだ。あるのだろうけど日本と違うようだ。

無事博多で換金したウォンを消化して帰途に着いた。14時半頃帰船した。シャワーを浴び着替えをして15:45からの出港式に参加した。今日既に乗り込んでいた500人の韓国からの乗船者も加わり盛大なものとなった。韓国からは小学生と親の組み合わせも多いようだ。学校はどうなっているのだろう。


3階の舷門 こんなに下がってしまった

出航に合わせ祝ってくれた(動画)


出港式

出港式(動画)
日本語と韓国語で説明している

釜山港出航(動画)

夕食は早い方の17:30からである。8人テーブルのうち日本人は3人である。隣が日本人だったので日本語でお話しできたのでよかった。内容は豪華だ。カサブランカで少し飲み、21:45からのリピーターパーティーなどには参加せず、19:30頃就寝した。腰が痛む。
夕食  一年前より一品多くないか?

終わり

2013年10月30日水曜日

ショートクルーズ第1日目10月18日、博多港出航

航海第1日目2013年10月18日(金)(出航)。晴れ。11,293歩、約6km

本85回ピースボートショートクルーズ概要は以下の通りである。
10月18日博多出航~釜山(韓国)~基隆(台湾)~那覇~上海(中国)~博多27日帰国。私はオプショナルツアーは世界遺産観光を主体に選択したのである。

腰痛は完治しておらずダンスはあきらめている。ツアーも歩く距離次第ではバスで居残りを覚悟している。参加できるだけでもよかった、と感じている今回のショートクルーズの記録をアップしていく。

11ケ月前横浜港に帰港した17日夕方出発した埼玉県大宮駅からの長距離バスは定刻より25分遅れで9時過ぎに博多駅前に着いた。大宮からのピースボート客といっしょにハンバーグやで朝食とコーヒーを取った

ピースボート乗客というだけで、航海を楽しもう、という同じ目的だけの先ほどまで見ず知らずの人たちはグループ化するのだ。彼らとはバス友として船内で挨拶を交わしたり話をしたりする仲になったのである。


バスターミナル近くで
コーヒータイム

昼はラーメンをいっしょに取り、大桟橋へ向かい時間を待った。ダンスのI先生ご夫妻と出会った。その後次々と懐かしい方とお会いした。そして14時過ぎ乗船した。部屋は5096号室で窓有二人部屋である。同室者は広島のAさんで77歳のお元気な方だ。

近い距離のターナルからバスで船まで
腰痛の私にはうれしかった

船から博多港

海図  次は釜山

16時~17時30分は航路説明会と避難訓練だ。国際法が変わり出発前に避難訓練をしなければいけなくなったのだ。


ジャパングレイス責任者挨拶

17時半からの夕食は牛肉つきでウエルカムディナーでちょっと豪華だ。同じテーブルになったダンスのI先生ご夫妻、大阪のMさんらと再会を祝った。


メインディッシュのステーキ

今日は酒を飲む前に3枚渡航先に提出用の書類を作らねばいけない。地球一周の時より忙しい。部屋に戻り提出用書類を作り提出した。やっとお酒が飲める。

20時30分からの8階スターライトでのSHALL WE DANCE?で門司のKちゃん、山口のYさんと会った。これでダンス仲間は全部か?ピースボートのダンス担当者の谷村さんも我ら仲間と踊った。私は腰が痛く踊れない。21:45終わってから私はカサブランカへ行きボトルキープし、23時に部屋へ戻り寝た。

終わり