2013年11月8日金曜日

ショートクルーズ第10日目10月27日、帰国

2013年10月27日(日)帰国


博多港接岸間近(動画)
6:46 久しぶりの快晴だ
小島の間を船は東南東へ進んでいる


7:40 博多港接岸も近い

10日ぶりの日章旗

7:46 福岡市街方面

7:48 接岸直前

8時頃無事博多港国際ターミナルに予定より1時間早く接岸した。これからパスポート返却をしてもらい順次下船することになる。既に荷物はいつでも搬出できるようにしてある。

8時からのパスポートを返却してもらい一度部屋に戻り8階中央に行ったところソファーに77回ピースボートの顔見知りが数人いたので加わった。

私はこの頃昨夜のカラオケでのダンスで腰がかなり疲労しており足を少し引きづっていた。元高校教師のSさんに戦争帰りの兵士のようだと言われた。そうかもしれない。でも最終日にようやく音楽に合わせ体を動かせたのだ。

楽しかった。これだけでこの航海はまた思い出深いものになったのだ。

しばらくして下船開始のアナウンスが入ったので、皆さんとはありがとうございました、またいつかどこかで、と言って分かれ部屋へ戻った。そして荷物を持ち列に並んだ。そしてまた一つ思い出ができたオーシャンドリーム号を下船した。

終わり


2013年11月7日木曜日

ショートクルーズ第9日目10月26日、ダンスパーティーとカラオケ大会

2013年10月26日(土)曇り。船内時刻=日本


海図  上部真ん中やや左の○が26日正午の船の位置

9:15 7階前方ブロードウェイ「落語独演会」古今亭菊千代
この方はピースボートで落語を20回前後しているようだ。私は今回初めて講演・独演会への参加である。いつの間にか朝が明けてしまう話だ。おもしろかった。

彼女は当初那覇から乗船の予定だったが、台風の影響で那覇港が閉鎖され、東京に戻りその日のうちに上海に着き、乗船したとか。大変な一日だったそうだ。昨日のことだろう。ピースボートHPにこの方の事が掲載されており一度は聴きたいと思っていた。聴けてよかった。


10時頃バス友の埼玉Tさんとその友人とカサブランカでコーヒーを飲んでいると、山口のYさんが来てカウンターで即席ラーメンを食べ始めた。

前日深夜まではじけていたのかと思い、そばに行って挨拶した。彼女は昨夜一時間時計を進めるところ、遅らせてしまい、今8時と思いきや10時でとっくに朝食が終了していたとか。本日13時からの77回同窓会の下打ち合わせをした。

11:40から一時間の社交ダンスを終え8階の「ぴーす」に「77回ピースボート同窓会、イトーヨーコ堂」に集まり、9階なみ平(この時間は9階ビュッフェレストラン)へ移動し、屋外パラマウント出入口近くで昼食を取った。

17人集まった。ほとんどは77回の社交ダンス仲間であった。門司のKさん挨拶の後、福岡のIさんの乾杯で幕があいた。

食事が終わったところで左舷側に移ってKさん提供のビールで宴会が始まった。アフタヌーンティーの始まる15時半頃お開きとなった。ほとんどの人とはこの航海中たびたび顔を合わせていたのでお別れ会という位置づけだったかもしれない。


13:36 なつかしい顔ぶれ

一寝入りつもりがカサブランカでキープし残っていた酒を処理した。そこにダンス仲間の友人が来たのでいっしょしてもらった。私は今回720mlの焼酎1本で10日間過ごしたことになる。昨年の3ケ月航海に比べ2~3倍持ったことになる。腰痛のため体を動かすことは歩くこと以外しなかったのでお酒がおいしくなかったのだ。

17:30からの夕食は福岡のIご夫妻、大阪のMさんと同じテーブルだった。航海の思い出話に花を咲かせた。今夕食は帰国前夜ということなので少し豪華なメニューだった。


夕食でごいっしょの方々

前菜

スープ

メインデッシュ  蟹料理

デザート  日本人向けの味と量だ

今日はまだあるのだ。SHALL DANCE?会場の8階に行き皆さんの踊りを見るアホウで観ていた。次回は絶対腰を直してダンスをするぞ!と思ったのである。


SHALL WE DANCE?(動画)
生バンドの音楽で踊る方々

終了後20:30からのコンサートに行った。「日韓友情フェスティバル」だ。ブロードウェイ一杯の人であった。30分くらい聞き、バイーアへ行ったところ山口のIさん、元高校教師のSさんと岩見沢のAさんらがいた。カラオケ大会なのだ。

私は銀恋、新宿育ちを今日夕方カサブランカで一緒に飲んだ方と歌った。歌った歌の間はフロアーで踊った。今航海は半分は韓国からの人である。更に在日の人もいるようだ。

時々画面に映し出される予約題名10曲は段々ハングル語表示が多くなっていき、最後の方は8割以上がハングル語表示の曲となった。

韓国人は踊りも含め乗るのが上手だ。なんの歌にでも踊ってしまう。私は踊った。腰は痛くない。23時を過ぎた頃の終了まで踊った。今回もっとも楽しかったことだったかもしれない。

終わり

2013年11月6日水曜日

ショートクルーズ第8日10月25日、蘇州観光、上海夜景

2013年10月25日(金)曇り。時刻:日本ー1h、本日深夜に一時間進める予定。歩数:万歩計が電池切れで不明
オプショナルツアー:上海F「世界遺産・蘇州観光」11,000円、129名参加、Fー3

初めて中国大陸での旅行である。高速道路からみる景色に山はない。SAのトイレはまあまあ綺麗。
G2京★(★:さんずいに戸)高速SA
歌でおなじみの太湖の近く

今日の蘇州の世界遺産はお寺や庭園だが、この国は文化大革命の時、寺などが壊されたと聞く。石などは呉の建設当時のものであろうが、燃える構造物に古さは期待できない。気の毒でガイドに聞けなかった。雰囲気だけで良し、とする。

蘇州は三国志の孫権の呉の首都だった所だ。マルコポーロに「東洋のベニス」と紹介された。


留園(世界遺産)

正面

呉時代の名園という意味?

雰囲気はある
写っている船に乗った人は
観光用に雰囲気を出している

木犀の香りを楽しめ、という意味?

薄い黄色の花の木犀
金木犀に似た香りがする

五葉の松 きれいな盆栽が多い

古い 石を磨いて模様を出した

表示されている石の前で写真を撮った

石林  奇妙な石
これはきっと古いのだろう
例え建物は昔暴徒に壊されたとしても
この石は建設当時の物であってほしい

踊り(動画)
呉時代の踊り?

留園を出て近くの公園から虎丘の斜塔を見る。2.34m傾いている。いつ倒れてもおかしくないそうだ。


虎丘舎  先端が2.3m傾いている

ここはマルコポーロが
東洋のベニスといった蘇州

昼食の中国料理はおいしかった。とてもおいしかった。

昼食のレストラン

ビール

料理の出始め
以降食べるのに
忙しく写真は無い

寒山寺
以下の説明のない写真は雰囲気のみ感じてほしい。

入り口

ガイドの張さん

張さんのガイド証明書




左:鑑真  右:弘法太子
共に日本からの寄贈

三蔵法師  日本からの寄贈 



五重塔

最後は外灘(バンドエリア)散策だ。昨夜散策した近辺である。
18:02
こちら側の租界地時代の建物の
ライトアップは19:00~20:00であり
まだきれいな状態ではないが
川向うはギンギンだ

ギンギラギン
船に帰り、岡山のYさん、大阪のMさんと部屋友さんの4人で本日ツアーの思い出話を楽しんだ。その後私はデッキでいつもはスモッグで写真が霞むという上海の夜景を楽しんだ。

船からの上海の夜景(動画)
19:31 離岸間近
船の11階デッキにいつも掲げられる
訪問国の国旗など旗が見当たらない

終わり

2013年11月5日火曜日

ショートクルーズ第7日目10月24日、揚子江経由上海接岸

2013年10月24日(木)曇り。船内時刻:日本ー1h。歩数:15,195歩、約8.5km。

朝起きたら暴風雨であるが、船はそれほど揺れている感じはしない。6時半のモーニングコーヒー頃海の色は泥色である。9時半頃放送で揚子江河口付近にいるとのことであった。海が泥色なのはそのためだろう。

それにしても河口付近の3時間以上前から河の水の色の影響を外洋が受けているのだからびっくり仰天だ。ここが揚子江なのだ。話には聞いていたが広く泥色の揚子江で、海のような感じさえする。ここを遡って上海に行く。この景色は船でしか味わえないのだ。
14:52左舷側揚子江
色は泥色  ズーット向こうに岸が見える
 反対の右舷側もズーット向こうに岸が見えた

(後日談:帰国後右舷側で見た岸は中州であった。なんとズーット向こうの岸は中州だったのだ。またまたびっくり仰天)

16:40頃外のデッキに人がいるのを見たので10階デッキに上った。階段入り口の外出禁止のロープが外されていた。風が穏やかなのを確認してデッキへ上った。

8階でGPS信号を簡単に受信できた。もう既に支流に入っている。18時接岸予定が19時になった。船はゆっくりゆっくり進む。両岸は段々あでやかなビルが多くなってきた。

16時前に支流に入ったようだ。16:51揚子江の動画を取りながら自宅へ電話した。良い記録となろう。このころの川幅でもナイル川よりちょっと広いくらいだから300m前後か。
16:42
向こうに通ってきたこの支流の
揚子江からの入口が見える

揚子江から支流の黄浦江へ(動画)
ダグボートとはロープで結ばれている


黄浦江から実況中継(動画)
16:51
録画・録音しながら自宅へ電話した


16:55 地平線への日の入り間近

17:34 まだ黄浦江

18:37
更に支流に入って上海接岸間近

(後日談:帰国後カメラの位置情報から揚子江から黄浦江という支流に入り接岸直前に更に支流に入り接岸したことを確認した)

上海市内観光に繰り出す予定の77回クルーズ仲間とは当初夕食を外で取る予定だったが外出開始が遅くなりそうなので、船内で取ることにした。急いで取り、外出を待つ列に加わった。

列が動き始めると早かった。あわただしさでグループは分裂してしまった。大阪のMさん、岡山のYさん、Mさん同室のEさんと外出することにした。


上海への第1歩

20:05頃バスを待つ列に加わった。40分待ち2度目のバスに乗ることができた。和平飯店近くの橋で降りブラブラしながら歩き、4人でレストランでビールと野菜いためを食べた。ビール3本と野菜炒め一人前で56元だった。安い。22時近くに店を出た。

帰りにスーパーみたいところでお土産を購入した。私は買わなかった。秤売りだったようだ。降りたところでバスに乗り船に戻った。カサブランカでバス友の埼玉のTさんと仲間の写真の好きな方と少し飲み部屋に帰り就寝した。

終わり

2013年11月4日月曜日

ショートクルーズ第6日目10月23日、那覇港閉鎖

楽天及び東北の皆様優勝おめでとうございました。10月27日(日)に私のクルーズは博多帰港で終了し、その日に博多のホテルで日本シリーズ第2戦を観ました。結局昨夜の第7戦まで観ました。

田中投手は、高校野球とプロ野球でそれぞれ北海道、東北で初めてとなる優勝の主力の一員でした。北海道、東北への功労者として長く記憶に残ると感じています。ありがとうございました。そして東北の皆さまおめでとうございます。

2013年10月23日(水)雨風強。船内時刻=日本、本日夜一時間遅らせる。歩数:8,908歩、約5km

5時半頃ダグボートが左舷後方を船と接触するほど近接し並行しているのを船室窓から確認した。6時接岸予定にしては遅い、と感じた瞬間ダグボートは船を離れて行った。

7時朝食時同席者から那覇港が閉鎖された、と案内から聞かされた、と言っていた(しばらくしてその旨の放送が入った)

朝食は4人テーブルに案内された。同室のAさんと途中で出会った人生終盤介護の名古屋のIさんとであった。そして韓国の女性であった

上手なわかりやすい英語でお話しされ我々も一生懸命コミュニケーションをとった。31歳、韓国ドラマに出てくるような色が白く目のきれいな女性である。

このクルーズは日韓・・・、というように日韓を強調し、乗客数も各500人という具合になっており、企画のテーマも日韓に関する重いテーマから軽いテーマとなっている。

前回のクルーズでも食事に同席した方とのコミュニケーションの楽しさや重要性は感じていたが、今回もやはり食事での交流の楽しさを実感した。


荒れる東シナ海

船室の紹介
 今回窓付き2人部屋ですごした。
2つベッドがならんでいるが
カーテンでしきることができる
左側がもうひとつのベッド

ベッド側から入口方向
左側は共用の机    今航海の
日記書きはカーテンとこの机を使った

さて当然那覇世界遺産ツアーは中止である。船は外部デッキに出ることは禁止されている。8階左舷側デッキでギターでミニ歌声喫茶をやっていたので加わった。

地球一周航海のときと同じようにこの公共スペースには人が多く集まりそれぞれが楽しんでいる。そのなかでの歌は少し気が引けたが、寄港キャンセルで企画がなにもないので仕方がないと自分を納得させなつかしい歌を歌った。


即席歌声喫茶(動画)
8階プロムナードデッキ左舷側で気が引けながら歌う

11時から朝食時同席の名古屋からのIさんが来室しジョニ黒とビールで楽しく団らんした。腰の痛い私は一寝入り後2時にマッサージのアママに予約し、3時からマッサージを受ける。腰を痛めていることを話してマッサージを受けた。77回に乗船していた大沢さんと再会しマッサージを受けた。

5時半から4階レストランで同室者のAさんの誕生パーティーだった。ケーキはおいしかった。昨年と違う点は2日間のなみ平のサービス券をもらえることであった。

なみ平での2次会はそこそこに失礼し、誘われたトランプ見学の会場に行ってみたがトランプに行き当たらず、カサブランカで酒を飲む気にもならず、部屋に帰り寝た。


出席者

船からのAさんへのケーキのプレゼント

体を思うように使えない不便な時間を過ごしている。でもここに来れたことだけでも感謝すべきであろう。来年こそはと思うクルーズの毎日である。

ピースボートのすごいことはこのショートクルーズでも地球一周クルーズ同様全力投球していることである。主催者の高い理念に集う若いスタッフのエネルギーなのか?私はたとえ興味のない大部分の企画に対してもそう感じるのである。

さらにクルーズ経験者間で今回の夕食が一品多くないか?という話になっている。以前はスタッフにこんなひどい食事はなんだ!と言っていた人もいるようだ。私は昨年のクルーズの時は食事の不満は聴かなかった。それでも一年前より質量とも進化しているのはすばらしい。

ちょっと残す程度が最良なのかもしれない。ちなみに私は今航海では一品残すことが多い。腰痛のため体を動かしていないので腹がすかないのだ。

終わり