2012年11月30日金曜日

航海16日目9月8日(インド コーチン)①

2012年9月8日(土)16日目

雨のち曇り。船内時刻:日本時刻ー3.5h、歩数:15,491歩 約9km。撮影223枚。


コーチン(=コチ)


接岸地点
左の入り江から入ってきた  天然の良港
大航海時代から使われていたことに納得

オプショナルツアー:コーチンQ「アレッピーでバックウォーター遊覧2」10,000円
接岸地点コチ(=コーチン)から
南へバスで一時間半の距離

コーチンは大航海時代の中継基地として発展した。日本での鶏のコーチン種と関係あるそうな。詳細はウイディベキヤなどネットで検索願う。

2:20起床。8階プロムナードデッキ左舷でいつものように店を開く。若者のグループは3時頃にはいなくなった。4時半頃名古屋からのヒデさんが立ち寄り少し話をしていった。今日は寄港するため企画は全てないので6時半位まで日記書きをしていた。

7:00朝食。4階メインレストラン
並んでいると、3,4人前にいたヒデさんがいっしょのテーブルで食べようと声をかけてくれたのでいっしょの席へ。京都のMさん、岡崎のご夫婦、ヒデさん、ヒデさんの友人と楽しく会食した。

岡崎のご夫婦は今は岡崎に住んでいるが、Mさんと同じ京都のご出身とか。岡崎に住んで長いので京都の言葉は話せなくなった、という。Mさんは京都弁そのものである。昔、一文字違いの歌手がいたとか。そういえばいたような気がする。

高校の修学旅行の京都の印象の一つはお土産物屋さんの女性が話す京都弁の美しさだったことを思い出した。お互いに今日参加するツアーの話などして、8時半ころ別れた。

10階右舷デッキへ行北側を見ると陸地が見える。GPSを働かせようとするがなかなかうまくいかない。結局GPSが働くのは上陸間近になってからである。GPSは元来米軍の軍事用施設の人工衛星を利用する機能(だったと記憶している)である。この周辺には軍事的にGPSを配置する必要はないのでGPS機能が働かないのかとさえ思うぐらいであった。

もうすぐインド 船が見える
GPS信号をカメラがキャッチしない

上陸間際に信号をキャッチし始めてからは、上陸してからもカメラの故障ではないかと思うぐらいバスの中でもGPS信号をキャッチした。

繰り返しになるが、GPSは画像をPCに取り込みネットに繋げるとグーグルマップに撮影地点が表示されるとともにその地点での時刻の標準地区に自動的に補正・修正されるのである(後に手動でも変更できることに気が付いた)。

部屋へ戻り、今日のツアーの準備をした。アンコールワットの時同様、暑さ、虫、雨対策が必要であり、ゴルフ女子プロでおなじみの長袖アンダーシャツと上着、長ズボン、首にタオルの巻きつけ、虫除けの薬、飲料水である。入国審査用書類をもらった。着岸後入国審査である。

ツアーは当初朝着岸予定が12時に変更となったのに伴い内容も変更となっている。時間の変更は当然だが、昼食が夕食に変更となり、料金が千円安くなった。

ダナン到着が台風の影響で1日遅れとなってから10日でほぼ取り戻したことになる。8:44頃ほぼ真西から北方向へ舵を切った。


右に舵を切った

デッキの椅子に座り陸地を見ていた。陽が出て暑くなってきた。予報は雨だったのでホッとした。自分への人生のご褒美として参加している人が多いこの航海、上陸日には晴れていてほしい、いや曇りでも良い、雨は降ってほしくない。しかし今は雨季なので降って当然なのだが。

11時になっても陸地に近づいてはいない。遅れているのではないか?海面に何かたくさん浮かんでいる。草のようである。これは後でわかるのだが川に生息している水草である。金魚鉢にいれるあの草に似た形状をしている。


近づく港を見る乗客  草が流れてきた
誰かがいっていたような
ゴミではなかったので安心した

11:20頃昼食。11:47GPS信号をようやくキャッチした。12:10頃PILOTと表示された船が近づいて来て、一人が船に乗り込んだ。水先案内人だ。さあいよいよ着岸準備だ。

ブイのようなものを過ぎたあたりから船は更に右に舵を切り陸地へ近づき始めた。タンクが左手に見え始めた。湾の中へ船は向かっている。


沖で水先案内人が乗り込む

左:水先案内人が
乗船していることを示す旗

中:医学的な検疫に関する旗
右:インド国旗

防波堤もない、砂地にそのタンクが建っていることが不思議である。右舷側、左舷側ともに近くで白波が立っているところをみると浅瀬が迫っているのだ。ブイがある。ブイの向こうは浅瀬なのだろう。左舷側はリゾート地か。ヤシの木々にお洒落な家が見え隠れしている。

かなり深い入り江になっている。大航海時代からのコーチン到着は間近である。この湾の地形は独特のもので、大雑把にいえば大きな洲のなかに着岸地点があるような形をしている。


防波堤がない上
砂地に立っているLNGタンク

ここに船を繋留しパイプに通して
上の写真のタンクへ入れる

右舷側近くは浅瀬
白波がたっている

左舷側は南国情緒
リゾート?

チャイニーズフィッシングネット

中央右の白い建物は教会
キリスト教信者インド全体2%ここ35%
大航海時代の影響

フェリー

漁船

港内  着岸地点近く

見たことのないスタイル

活気はありそう

11階デッキからの回りの風景(動画)
浮いているのは川から流れ出た水草



段々着岸地点に近づいて

右手が着岸点

船後ろ左舷を押している

12:45着岸

10ルピー=15円
上左:100ルピー表
上右100ルピー裏
下:10ルピー表
この人物はガンジーでしょう

12:45頃ダグボートに船尾横を押され無事着岸した。しばらくして7階ブロードウエイで入国審査を待つ列に加わった。すでにかなり長い列になっている。どんどん長くなっていく。待つこと30分合計7から8名の審査官らしき人が会場へ入っていった。しばらくして列は動き始めた。かなり早い。

前の前の杖をついた女性を私の前の女性が歩くのを助けている。聞くとはなしに聞いてしまったが、「私は段々歩けなくなる病気にかかったが進行が遅いので歩けなくなる前に、と思いこの航海に参加した。」と。

障碍を持つ人の参加は見たり、聞いたりしている。お互いこの航海を楽しみましょうね。(後日、この方が笑顔でおられる様子を何度も見ることができた)。

4:24インド大陸への第一歩である。乗客はそれぞれのツアー毎の19台のバスに分乗し出発した。橋をわたり市街をバスは進む。信号は非常に少ない。三叉路でも信号はない。左側通行だ。平気で追い抜きをかける。窓から様子を見ているとインド人の生活を感じる。今日は土曜日かつお祭りなので通常より交通量、人出共に多いそうだ。
バスがこんなに待っている

インド大陸への第一歩


現在の私の家
ちょっと行ってきます


検問所?はパス

すれ違った船の乗客が手を振る
あちらも手をふる
手をふると喜ばれる、という

町の様子

検問所?


ガイド
英語で話すのを右のピースボートCCが
日本語に訳す


装飾の施されたトラック
菅原文太主演トラック野郎と同じ動機か?

街中  車は左側通行

街中

アルミ製造会社

バスに窓ガラスはない

街中

街中
広い道でも車道と歩道の区別はない

お店

街中

街中

住居

三叉路に信号がない


街中

教会


舗装されていない

ガソリンスタンド
①終わり  

2012年11月29日木曜日

航海15日目9月7日(船内生活)

2012年9月7日(金)15日目

曇りのち晴れ。揺れはあまり感じないが、大きくうねっていることが船の端を見ているとわかる。船内時刻:日本時間ー3.5h、昨夜、30分遅らせた。

カメラはGPSにより補正するので船内時刻とは異なる場合がある。(この後、手動で修正をすることができるように、私は少し進歩する)。歩数:9,701歩、約5.6km(2,3日前に2cm減らし一歩58cmに設定変更した)

昨日は大失敗をしてしまった。日記を保管せずに消去してしまった可能性がある。毎日無駄な時間はないので再度同じように日記を書くことはできないが、記憶に強く残っていることのみ再度本日書くことにする(大丈夫しっかり保管されていたことを後日確認した)。ここで一度名前を付けて保管しておいた。このへんでの慎重な確認作業をしっかりしよう。今日の私の行動予定は囲碁・麻雀が午前中、午後はダンスという構成である。

2:10起床。船室の窓からは星が見えない。いつもの8階プロムナードデッキ左舷側テーブルにつく前にデッキに出てみたが雨が降っていた。予定だと今日8時にスリランカの南側を通過する。昔のセイロンである。若者の一団が談笑しているプロムナードデッキにいつものように店を広げた。

6時15分前に終了し船内新聞を8階ピースボートカウンターからもらい、船室に荷物を置き、PCに充電器をセットし7階ブロードウエイへ移動した。

6:00~6:40太極拳とラジオ体操第1第2
腰にすぐ疲労を感じるが、これは船に乗る前からのことで私自身の体質だといえる。だからそれに続くみんなの体操、健康体操はしないで9階ビュッフェでモーニングコーヒーを窓から海をみながら戴く。私は朝のモーニングコーヒー、昼食、15時のアフタヌーンティーはここで海を見ながら過ごすことが多い。航海の楽しみの一つであろう。

もしかしたら船の揺れも思い出の一つになるのかもしれない。基本的には船は飛行機、新幹線より感じる揺れは非常に少ない。出航した翌日から台風の影響を受け始めた数日は瞬間的に震度1~3ほどの地震を繰り返し受けている状況だった。その時は公の場所に出てくる人はやはり少なかった。幸い私は何とも感じなかった。


今 雨季である


船内時刻は日本時間-3.5h

7:00朝食。4階メインレストラン

今日ご一緒した方は元ダンス競技に参加したこともあるK夫妻、伊豆半島にテニスコート付の別荘を本宅としたご夫婦、元教員をご主人にお持ちでご夫婦でピースボートに参加し別々に朝食をとっているIさん等である。

Iさんが言うには私のベリーダンスがときの動きがいいという。そんなはずはない、と私は思っている。私は前日ご主人に囲碁を打っていただき教えていただいたのであるが、そのことと何か関係があるのかな?

やはりツアーの話が中心になる。アウシュビッツに行く、という方がおり、それに対し家族でアウシュビッツへ行ったことがある方もおられた。私は、ツアー選択のコンセプトとしてベトナムも含め、悲惨で気の毒だったところへは行かず、負ではない世界遺産を中心に選択した、と言った。事実ベトナムは通過しただけだった。

鹿児島から参加の女性も同席されておられた。この方とはすでに数回同席している。レストランへ来る時間が同じなのだろう。静かな方で自分からは話さずジーっと人の話を聞いておられる。私の従弟に似た顔立ちの方である。

昨日書いて消してしまった可能性のある分の再度日記を書く前にオープンデッキ景色の確認とカメラでGPS機能を働かせて写真を撮った。スリランカが見えるかもしれないが、雲なのかなんなのかわからない。


スリランカのハンバントタ方向

カメラのGPSについては、この機能を働かせることにより、カメラの時間基準地域の修正と撮影時の地点がグーグルマップでPC(パソコン)画面に表示されるのである。この機能を働かせることは旅行にぴったりのことであろう。

ちなみにこのカメラはソニー製のDSC-HX7Vで既に生産終了となっている。購入はピースボートに今回参加を申し込んだ直後の昨年11月であり、更に1月にもう一台同じ品番の製品を購入し2台今航海に持参して変わりばんこに使用している。量販店で2台合計3万5千円であった。紛失、故障、撮影したい時の電気切れ等対策として2台持参したのだ。

囲碁コーナーに寄り誰もいないことを確認し船室で再度日記書きを小一時間ほどしてから再度囲碁コーナーへ行った。すでに2組やっていた。一組は指導碁に近いものであった。その後私も2段と言われる方に6目置いて指導していただいた。当然負けた。でも私の序盤は良いらしい。長所を少しでも伸ばしたいものだ。

11:30~12:10オープンGET英語 初級。8階スターライト
数十人の参加者。自己紹介の仕方である。これから続けてやっていきたい。

12:00朝食。4階メインレストラン

女性が6人男性2人(含む私)同席。4階レストランは自分で席を決めることをできない。このツアー参加者は女性が多いのか?レストランで同席する男女の比率を見る限り女性が多い。

さて昼食時の話題は、昨日北海道と神奈川県の集まりがあったが、両方とも40人ほど集まったという話が発端となり、全員の出身地と出身地に対する思い等の話から始まった。オプショナルツアーの話、そして豪華客船飛鳥Ⅱの噂話、宝くじ等あとからあとから話が続き、今回も一時間ほど楽しい食事をした。


毎日昼過ぎに12時時点の
船の位置が航海図に記載される

14:15~15:50KUNIの練習会。8階スターライト
ブルース主体の練習。

16:00~17:00社交ダンス。8階スターライト。ジルバ
なかなかステップがむずかしい。居残り練習を数人でした。I先生も付き合ってくれる。

麻雀。ベリーダンス開始まで初心者たちと楽しんだ。麻雀の教え方の厳しい女性の話題等。

18:15~19:15ベリーダンス。7階ブロードウエイ
難しい。でも楽しいので続けよう。隣のオジサンと励ましあいながら。

19:30夕食。4階レストラン
なんとベリーダンス講師のYOSHIEさんの隣の席へ案内された。すぐ既に来ておられた方も含め写真撮影をしていただいた。


右端がYOSHIEさん
彼女のアップ写真は
彼女のHPまたはブログをどうぞ
左端は今着席したばかりの方

さらに若い女性二人が加わり、会話が大いに盛り上がった。後から来た人が突如マスコミの取材のように先生に質問しまくり始めた。すぐ今まで楽しかった場の雰囲気が冷めた。せっかく楽しんでいた雰囲気が壊れたのだ。

そのうち喋っても反応がなく、同意を若い女性に求めても返事がないので、ようやく雰囲気を感知したらしく、その男は退席した。しかし雰囲気は元に戻らないほど壊れていた。この擬記者は今日自主企画の○○道の講師をしていたぞ。

(後日談
 この男性はMといい、寄港地ツアーでも、時間の観念がないため集合時間に遅れてくる、ホテルで夜中に洗濯物にドライヤーを使って乾かし同室者への睡眠妨害や、早朝4時に添乗員に電話するなど数々の迷惑行為をして有名となった。年の頃は50歳前後か?この男から迷惑を受けた人は少なくない。女性蔑視の発言もあって特にご婦人方から露骨に嫌われていた。)

20:00インド洋で星をみよう。11階。講師は結局星早見表で南十字星をみることを説明しただけ。小学生の時、本(教科書か学習雑誌)で読み、69回ピースボートで星の自主企画をした人もブログで説明していた偽南十字星との見分け方の話がないので尋ねた。しかし偽十字星なんて知らないという。20人ほど集めて本当に大丈夫か、と思いつつ中座してなみ平へ。

今日は変な日だった。なみ平でいつの間にか夢の世界へ。元高校教師の友人Sに起こされた。

終わり