2012年11月21日水曜日

航海5日目8月28日(ルソン島近くの船内生活)

2012年8月28日(火)5日目

晴れ。日本よりー1h(今日24時にさらに1時間戻しー2hの予定)。揺れは小さくなった。昼頃から晴れてきて夕方9階ビュッフェの屋外へ出ることができた。歩数9,853歩、約6km。

場所は夕方にはフィリピンのルソン島北端に接近。ベトナムのダナン、シンガポールへの到着は1日遅れとなる旨の連絡があった。台風の影響を避けるため進路を変更したためである。

2:20起床。昨日同様8階プロムナードデッキ左舷側の四角いテーブルで店を広げた。5:45まで途中一回のトイレ休憩を取り一気に3時間の作業を終了した。昨日は伊藤千尋さんの「うたの旅人」の印象が強かった。船室へ荷物を置き、PCへの充電開始。

6:00太極拳。本日もデッキに出ることが禁止されているので7階前方ブロードウェイで実施。少しでも先生の近くで動きを観たいのでステージ向かって左に移動した。それらしく手足を動かすのみ。

6:30ラジオ体操。明日から自主企画扱いとなり、企画をする人がいない場合にはやめることになるとか。体操に限らず明日から自主企画が始まるらしい。これで囲碁とダンス主体の生活となるのだろう。ダンスは運動のためにも2時間はしたい。

6:45モーニングコーヒー
9階プールサイドでモーニングコーヒー。

7:00朝食。4階メインレストラン
今日は納豆があった。合席の方は、前々回75回航海に続いて2回目で、これから年2回のペースでピースボートへ参加予定の一人で参加のご婦人、社交ダンスで男性側先生の相手をすることもある方である。

このご婦人が曰く、「自分で稼いだお金を航海に使うつもり」、「夫婦で参加した場合、ダンス等で亭主が他の女性の相手をすると嫉妬する人がいて結局ズート2人だけの航海となってしまう」と言われる。

もう一方のダンスの男性側先生の方はもう少しで69歳になるという。肌はすべすべで艶があり、姿勢良好、体は引き締まり、髪はふさふさ、お年より数歳お若くみえた。先ほどのご婦人がダンスの講習の際、お世話になっているとか。しばらく6名のテーブルではダンスの話に花が咲いた。結論はダンスをした方が、人生にとってお得、ということに落ち着いた。

この日は40分の朝食であった。本当に楽しい食事である。隣のテーブルも盛り上がっている。ピースボートの航海は、初めて言葉をかわす方とでもすぐ打ち解けることができる、という不思議な、でも楽しい空間である。

8:30社交ダンス。8階前方スターライト
昨日よりも人数が減っている。リバースターンを覚える。途中、先生曰く「ゴム底は滑らないのので履いてはいけない」というので靴を脱ぎ、靴下にしたところ、よく滑り、快調である。汗をかいた。最後まで続けたい。

9:00~10:00世界遺産(その意義と課題)城戸(きど)一夫
私はステージに向かって右前方の人のあまりこないところに席を取ることにしている。理由は眠くなったら素直に眠るつもりであることと、長椅子の前の小さいテーブルの横に丸椅子がある。

そこに足を乗せて講演を聴講するのである。楽ちんなのである。朝食の後でもあり、本講演の時はよく眠っていたようだ。私は講演の最中よく眠ってしまうので、講演者には申し訳なくなり、段々講演には行かなくなっていった。

10時からの「沈黙の春を生きて」(ヘギー・バウザー)。7階ブロードウェイ

これもベトナム戦争の時の枯葉剤が人へ与えた悪い影響の内容である。既に正面にはスライドで題名と人の写真が映し出されていた。目に障碍をもった子供が写しだされていた。先日も枯葉剤のダイオキシンで障碍をもった人の講演を聴いた。やっとの思いで聴いた、というのが本当のところである。私の神経はそれほど太くはない。気の毒でどうしようもない、というのが本心。私は、会場を出ることにした。

8階のプロムナードデッキへ出た。囲碁をやっているコーナーへ行った。2組がやっていた。自主企画が始まったらたくさんの人が参加するだろう、と。観戦していたら、勧められたのですることにした。私は7級です、といったが互先となった。簡単に勝つことができた。明日から自主企画活動開始、というので社内新聞で確認しよう。

11:30~12:30うたの旅人3回目。伊藤千尋
今日で最後らしい。前から二番目の椅子席をゲット。前日の最前列一番前もよかったけれど椅子席も良し。

伊藤さん
①さくらさくら
 第2の日本国歌の位置づけ。染井吉野は一本の木から接ぎ木、接ぎ木を経て拡がったクローンのため、同じ動きをするので、その地域で一斉に咲く。京都丸山公園の枝垂桜を世話している人が日本各地の桜を見てまわったところ、ご神木となっているのは一本もなかった。それだけ人に密接になっていること、と。

②北帰行。作詞・作曲の宇田さんの経験を詩にした。旅順大学を退学になり、今の瀋陽の大学長の父のところへ向かうときに作ったようだ。

③北国の春。作詞:いだはく、作曲:遠藤実、歌手:千昌夫
 いだはくは長野県生まれなので自分の経験を詩にした。父を5歳でなくして苦労人。遠藤実はひどく貧乏していたとのこと。千昌夫は執念を持っていた。この三者の合作でヒットに結び付いた。

なぜ こぶし咲く北国か?(動画)

④歓喜の歌。ベートーベン。
講演中には動画も撮った。


歓喜の歌の一部


この方たちが一部を歌う
後日出席者全員で合唱する

12:30昼食。9階ビュッフェレストラン
太陽の陽射しが久しぶり。合席の方が「水鳥のアジサシが飛んでる」と言って指差した先には久しぶりに見る鳥がいた。予定からすればフィリッピンのルソン島の近くであり、地図にある小さい島からの鳥かもしれない。


航海図
ルソン島近くまで来ている


嵐が去り久しぶりに屋外デッキで
GPS信号キャッチ
これで船の位置をグーグルマップで確認できる
しかしブログ読者からは確認はできない

13:30~15:00ミレミアム開発目標。大崎麻子。7階ブロードウェイ2015年までに貧困をなくそう、という運動で日本が主導している運動の講演であったが、ほとんど眠っていたようだ。どうやら食事直後は眠たくなるようだ。これは会社生活ではあまり感じなかったことである。

16:15~17:30 一人の声が世界を変えた。伊藤千尋。7階ブロードウェイ

命をかけて最初にきっかけを作った人数名に関する講演であった。伊藤さんのこれが最後の講演である。私にとって伊藤さんは「歌の旅人」も含めこの数日の主役であった。まだまだこの人の話を聞きたい。出口で販売していた著書を買い、伊藤さんにサインを戴いた。すばらしい朝日新聞記者である。


ルーマニア革命の時の自分の命の
かかった場面を語る伊藤さん
先ほどの歌の旅人の時の表情とは
まったく違う

8階スターライトでストリートダンス2回目をやっていた。見よう見まねでやってみた。機会があったらやりたいダンスである。運動量も多いし。

19:00同室の4名で宴会
3日から私はアンコールワットへ4日間、Oさんはインドの旅なので宴会となった。夕食を9階ビュッヘで開始、なみへいとなるビュッフェでおかずを肴にビール、焼酎を楽しんだ。あと8階バイーアで専属バンドのブルースカイの演奏を楽しんだ。ダンスを曲に合わせて踊っている方々がうらやましい。


専属バンド


ダンスを楽しむ人たち
ここで踊っているのはほとんど
ダンスの講習参加者である

デッキに出てGPS信号をキャッチさせ、満月に近い月の写真を撮って22時就寝。今夜一時間遅らせるので21時就寝相当となる。一日25時間の世界。


9階バーパノラマ


ルソン島近くの海からのお月様は
満月に近い
終わり

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