2012年12月31日月曜日

航海64日目10月26日(マヤ文明ティカル遺跡近くの湖畔のホテル)

2012年10月26日(金)64日目

晴れ。現地時刻:日本ー15h。歩数:12,855歩、約7.3km

3:30起床。すぐ荷物をリュックに詰めてロビーへと向かう。ロビー前の階段の下で空を見ると綺麗によく見える。船で星のオジイサンに教えてもらったオリオン座、木星、そしてスバルが数個はっきりと見えた。

船からはスバルはそこまで良く見えなかった。(後日談:ここで見た星が航海中一番良く見えた)。シリウスもわかったが、カノープス(寿星)は知識不足により特定できなかった。

マラリヤ媒体の蚊に刺されるのも怖いため、そこそこで切り上げロビーへ行った。自動小銃を持った警備員は親切でニコニコしながら電気をつけてくれた。でもロビーの屋外に繋がる全ドアーを開けたのには驚いた。

あとから聞いた話ではこの地でマラリヤにかかった話はきかないらしい。でも国連かなにかでマラリヤ危険区域かに指定されているはずなのだ。そのため私は一錠500円の薬を4個購入した。

蚊は飛んでいる気配はないので店を広げ、メールを書き始めた。5時半くらいまでかかってメールを書き終わった。5時半からは部屋に戻り、写真のコメント書きを始めた。メモした手帳をみながら書いていった。

ようやく7時頃画像へのコメント書きは終了し、同室者とレストランへ行った。オムレツを焼いてもらったが、とてもおいしかった。高級ホテルだけのことはある。


泊まった部屋


奥の部屋が私たちの部屋
撮影地点の左が階段


階段


2階の端の部屋
入り口の反対側にベランダがある

これがベランダ
蚊が飛んでいる様子はないが、
蚊が怖くて出られない


百メートルくらい歩くと右手にロビーに
つながる階段がある


この反対側がロビーへの階段


ロビーへの階段
この地点で深夜星が良く見えた


今歩いてきた方に振り返って


朝食
左のオムレツがすごくおいしかった

右側が暗い個所は私の指が
フラッシュの光を遮っている
他にもこういう写真があった

今日はこのホテルで11:30まで過ごすのであるが、プールもありビーチも所有しており、かつ散策路も整備されているので十分だろう。一通り見て回って別にすることがない場合には、PC作業をすることにした。まずロビーでO君奥方にPCをお貸ししメールをO君宛てに発信してもらった。O君びっくりするだろうな。

散策路を回った。何か鋭い声で鳴く鳥がいるが、動画では撮ることができたが、鳴き声が入っていないのが残念である。更に残念なことにGPSはティカル遺跡、そしてこのホテルで信号をキャッチできないでいる。木々が多いからである。


ホテル入口  奥に建屋入り口が見える


散策路


このホテル所有の遊覧船


ホテル名の入った遊覧船


ビーチ


ビーチにいたアヒル


カヤックはここから乗る?
この湖は「ラーゴ・ペテン イッツア」

ホテル敷地の散策(動画)
広くきれいな敷地だ
ホテル敷地散策用に時間を確保している価値は充分にあった

11:30ホテル出発。すぐ眠っていた。昨日はマラリア予防の強い薬、今日は風邪気味なのでルルを三錠飲んでいるから眠たい。途中お土産屋に寄った。ここでようやくGPS信号をキャッチした。


お土産屋


お土産屋で
神殿Ⅰ下に埋葬されている
アフカカルの想像模型だろう


お土産屋はこういう所にある


ガムの木樹液原型 ガムの感触はあった

昼食会場のホテルのレストランは私たちが泊まったホテルの湖を隔てた反対側に位置するという。帰国してから確認しよう。ここのパンとジュースがおいしかった。それからフローレス島へ行き観光をした。


昼食


宿泊したホテルとは湖を挟んだ反対方向

フローレス島観光


家並み


1階:スペイン風、2階:カリブ風とか


真っ白な階段

中心の広場
正面白い建屋:最初からある建物
正面から右手の建物:知事公邸


高台から


エルサドル・ホンジュラス・ミクアグラ・コスタリカ・
グァテマラ中米連邦共和国副大統領
1821年グァテマラ独立後のいつかはわからなかった


広場の教会前で  かぶっている帽子は
昨日ティカル遺跡入り口の店で購入した

観光を終え、再度小型の40人乗りのプロペラ機でフローレス空港からプエルトケツァル空港へ飛んだ。ここでも良く寝た。降りたらバスで20分位で船に着く。船は当初予定していた浮桟橋に移動していた。


帰りの航空チケット  繰り返し使える


この飛行機に乗った


大きい湖だった


無事到着


飛行場周辺  ヤシの木


港のお土産屋
ここを通らないと船着き場へ行けない


当初予定の浮桟橋に移動していた


船側から見た風景

お土産屋前を通りバッグを仲間4人との共同購入で割り引いて購入した。外国ではおつりの計算ができないというが、それだけではなく一人づつのお金のやりとりでないと、お金をもらったかどうかの記憶があやふやになるので注意が必要である。

船に帰り、シャワーを浴び、洗濯などをして夕食時間を待ち、夕食会場へ行った。ハヤシライスだった。これはこれでO.K。終わってカサブランカ、なみ平で酒を飲んでから21時半頃寝た。

IDカード

18:23 カサブランカ ボトルキープとアイスセット 3,415円
21:12 なみ平      同上        2,915円 

  合計               6,330円

終わり

航海63日目10月25日②(マヤ文明ティカル遺跡探訪)


ティカル遺跡は4~10世紀の王朝が作り、その後この地が放棄されスペイン人に17世紀に発見されるまでジャングルに埋もれていた。グアテマラは木の多いところ、という意味からきているらしい。つい最近まで内戦があった。治安はかなり悪いところのようだ。  

時間が来たのでゾロゾロと歩きだした。このへんは標高125mで亜熱帯だ。


歩き出した  3~4時間歩くようだ


この溜池からバキュームカーで
水を吸い上げている


入り口    ここでまとめて入場券を
もぎってもらう   後から半券をもらった

もらった半券

ティカル遺跡は遺跡と自然の共生の複合で世界遺産となっている。遺跡までのアプローチも楽しめるということだ。

まず私たちを迎えてくれたのはグァテマラの国樹の「セイバの木」である。これは枝が蜘蛛みたいである。また地表付近に特徴がある。見栄えの良い木である。


段々木々が多くなってくる
ここは遺跡と自然の複合遺産である

ガムの木


セイバの木の説明書


グァテマラの国樹「セイバの木」

下部の地表付近の三角形の
部分の高さは2m以上ある


枝がくもみたい

コース案内図のところに着き、コースの説明を受けた。3~4km四方の区域を歩くのだから3時間半のコースになるわけだ。


コースの案内

出発


野生の七面鳥


ピラミッド?


さる

私は、ピラミッドと神殿の区分を忘れていた。これは帰国してから復習してみよう。東ピラミッドと西ピラミッドは2極を表しているという。東は太陽や男、西は月や女、というようにである。

29代の統治者で768年~800年まで統治したジョシューニュアインさんが作った礼拝堂があった。石に彼の名と作成年などが刻み込まれている。この中で外国人のグーループと出会った。もしかしたら隣の船で来た人たちかもしれない。


礼拝堂


771年、ジョシューニューアイン、
29代、とかが刻まれている

  ジョシューニューアインさんは
768年から800年まで在位した支配者


注意書き  座るな、と書いてある

 埋もれたままのピラミッドがあった。埋もれていた遺跡の10%しか発掘していないようだ。ここには12万人ほどが住んでいたが、850年~950年に干ばつのため移動したという説が有力のようだ。

この下にピラミッドが埋まっている

途中、数々の珍しいものの説明を受けた。


大きな杉の木


ボア   一本の木に
へびのように巻きつく


頑丈そうな根っこ

いよいよ神殿Ⅳが顔を出した。Ⅰ~ⅣでⅣが一番高いようだ。これに登らずして、ティカル遺跡を見て来たと言うな、とガイドは言った。神殿Ⅳは改修中である。新しい石の使用は30%以下に制限されている、と。741年に神殿Ⅳは完成した。現在の改修工事は6年後終了予定。

横の木製のハシゴを使って上まで行くが、思ったより勾配は小さい。上へ行き、写真を撮り合ったり、景色を撮ったりして過ごした。神殿Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ全部見渡せる。見渡す限り樹海である。人が住んでいたころはこの1/4ほどの緑だったそうである。これから神殿Ⅰ,Ⅱ、Ⅲを見に行くのだ。


741年の神殿Ⅳ


神殿Ⅳの全容   修理・発掘中
この遺跡の上に登り周りの景色を見ようというのだ


神殿Ⅳを下から見る(動画)
世界遺産の改修の際の制限事項を説明している

神殿Ⅳ上部へのこう配のある階段を上る
途中こちらの人と思われる人とすれ違う

すごい
上の人のいるところで景色を楽しんだ


神殿Ⅳからの眺望 左から神殿Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ


神殿Ⅳの上  たくさんの人
赤いシャツの人は通訳

神殿Ⅳからの眺望(動画)
回りが森林に囲まれているのがよくわかる

集合時間までに再度集まり、歩き始めた。


ガムの木   切って樹液を
出した跡がある


窓の宮殿  身分の高い人の住居跡


さっき上まで登った神殿Ⅳ

そして神殿Ⅲのところに来た。そして更に進む。神殿Ⅰ、Ⅱ、アクロポリス等があり、宗教的行事をした広場に来た。


神殿Ⅲ


聖なる想像上の動物が刻まれている

神殿Ⅰはティカルがカモクムルに125年間支配される直前にアフカカルがティカルのアイデンティティのために作った。この神殿の下にアフカカルの遺体が永遠を意味するヒスイに囲まれ眠っている、という。神殿Ⅱはアフカカルが妻に贈ったようだ。アクロポリスの地下には10人以上の支配者の遺体が埋められている、と。このグランプラザ(メイン広場)がティカル遺跡のメインなのだ。


神殿Ⅰ  マヤにおいて独特な急な勾配

神殿Ⅰを背景に記念写真


神殿Ⅱ  アフカカルが妻に贈った


アクロポリス   下には10人以上の
支配者の遺体が埋められている


高貴な人の住居跡


パノラマ写真  左:アクロポリス、右:神殿Ⅰ  グランプラザという
メイン広場であり宗教的行事をする場所  神殿は全て赤だった

グランプラザ(動画)
神殿Ⅱ⇒アクロポリス⇒神殿Ⅰ⇒高貴な人の住居跡、の順序で撮影

帰り道も数々の遺跡などの説明を受けた。


サウナ  宗教的に意味があった


行政的機能の宮殿
物々交換の時に税金をここに納めた


アライグマ

17時頃バスに到着し、一路湖畔のホテルへ行った。18時過ぎホテル到着し、19:30から夕食とか。それまでに、シャワーで汗を流し、wifiを繋がねばいけない。ホテルは豪華で8部屋で一つの棟となりそれが直列に並んでいる。敷地面積は広いそうだ。


J-1チームのベンツ製のバス


ホテルへ向かう車窓からの湖

同室者は制服屋さんのKさんである。この方とは、アンコールワット、フランスで面識があり、お互い同室者として申請していた。同室希望はお互いが希望しないと成立しないが、夫婦の場合でもこの申請は必要だという。なかには現在喧嘩中というかたもおられるから、と言っていた。

wifiは24時間10USドルであり、すぐ金を支払いパスワードをもらい繋げた。今日と明朝はネット関係を優先するつもりである。ここでのネット作業がツアー最後と私は決めている。電波が弱い船内でネットを繋ぎ、それによって発生するトラブルを避けるためである。

同室者がシャワーを使っている間に、2台のカメラをPC経由でネットに繋ぎ、GPS信号キャッチ支援システムを更新した。有効期間は1ケ月だ。これはGPSを使うための最優先事項である。それからメールを一本出した。後は明朝にしよう。メールは今回が航海最後なのでやっておかなければばいけない事項である。

夕食はおいしかった。肉は一番小さいのを希望したが、おいしく更に大きいのを二キレもらって食べた。今日は約2万歩も歩いた。船にいるときの1.5倍だ。部屋に戻りミニバーにはウイスキーがなかったのでビールを2缶飲んで寝た。


ホテルの夕食
肉がおいしく2キレ追加した
とうきびは何も味がしなかった


CAMINO REAL TIKAL は
高級ホテル


フロントからこの階段を下りて離れ形式の部屋へ向かう
8室で2階建て一棟を形成している   中央付近の
明かりがついているのはあずまや風の小屋

ティカル遺跡探訪終わり