2013年1月13日日曜日

持ち物編

2013年1月13日(日)(持ち物編)

昨日1月12日で航海記のアップは終了した。一つの任務が終わったようで、ホッとしている。これからは、アップした航海記をプリントアウトし、船内新聞、ツアーで入手した資料等紙類のファイル化をしようとしている。

航海記最後に「持ち物」についてまとめる。航海記は不具合を確認した時点で改定していきたい。「持ち物」は特に「1.電子機器」と「予備メガネ」が重要だ。他の物は最低でもどうにかなるが、この2種類は快適に過ごすための必要事項と言える。

さて、私はこの持ち物編を直接インプットしているが、グーグルのブログであるブロガーは直接インプットには向いていないかもしれないから、もし使おうとする方がいるのであれば、よく検討してから使うようにした方がよい。後から行の文字頭を揃えるのが大変なのだ。

私は、船の中で「メモ帳」で日記を書き、帰国後、ブロガーに貼り付けてから文字を揃えたりした。このステップを踏むかぎりかつ私の用途である限り、総合的にブロガーが最高である。そのことは航海前に調査済みである。

持ち物編

 ジャンパングレイスから指示のある持ち物は絶対必要だ。それ以外に持って行って便利だったもの、不要だったものをまとめた。後日思い出したら加えていきたい。

<構成>

Ⅰ.良かったもの

1.電子機器
2.服装
3.靴
4.バッグ
5.薬
6.その他便利だった小物 

Ⅱ.持って行っても使わなかった物

<内容>

Ⅰ.良かったもの

1.電子機器
  
①パソコン1台
   ・日記書きと画像を毎日取りこんだ。

   ・モバイルタイプでバッテリーが強くフルに充電しておけば
    3.5時間給電なしで使用可能。
    8階オープンデッキで毎日充分使用できた。

   ・充電は220Vから100V変圧器を通してから、パソコンと
    セットで購入したアダプターをセットし使用した。
    説明書によるとアダプターのコードが100V仕様だった
    ため。

 ②カメラ2台
   ・コンパクトデジカメGPS機能付きの同じ機種(DSC-HX7
    V)の色違い2台で量販店で合計35,000円だった。
    これで紛失、故障、電池切れに対応した。

    150枚+動画を撮ると残量電池の最小を示すマークと
    なる。その時、カメラを交換した。
    ツアーででかけると一日に一回はカメラの交換が必要と
    なった。

   ・220V使用可能なアダプター(付属品)

   ・砂塵によるカメラ故障防止策
    防水用カバー「DiCAPac」を8,000円位で購入したが、
    使い勝手は良くない。

   ・SDカード
    4GB×3枚+8GB×1枚を1ケ月で使い切り、
    あとはフォーマットしながら使った。
    間違い防止として次のSDカードが一杯になるまで、
    消去しなかった。

    PCと外付けHDDにデータを確保しているので安心して
    SDカードのデータを消去することができた。

   ・ケース
    腰のベルトに固定できるもので、常にカメラを携帯できた

   ・首からぶら下げるベルト
    ツアー時に首からカメラをぶら下げ、胸ポケットにカメラを
    入れて、すぐ撮れる状態にしていた 

 ③外付けHDD
   500GBを購入し、毎日画像・文字データを取り込んだ。
   500GBはPCの能力と同程度である。セット代(有料)も
   含め約1万円。

 ④携帯電話
   家族と寄港地で電話した。海外で使用可能な機種を
   購入した。よく電気切れしていて、充電後使用する前に
   パスワード入力を求められる。
   パスワードを記録しておくことが必要。

 ⑤ソケット類
   船の電源の口は日本とは違い丸いので、変換機が必要と
   なる。
   よく調べて準備が必要。

2.服装
 ①下着
   ・アンダーシャツ、パンツは14枚、ズボン下は12枚、
    靴下は14足。これで5~6日に一回くらい洗濯袋が
    一杯になり出していた。洗濯袋ひとつで700円。
   ・ツアーの虫対策として速乾性の長袖シャツ3枚
  
 ②上着は各種合計12枚程度
   長袖と半袖は半々づつ持参。反省としてはもっと長袖を
   持っていったらよかった。

 ③帽子は6ケ。ハンチング3ケ+丸くつばのあるゴルフ用帽子3ケ 

3.靴
 ・スリッパ1つ・・・・船内用
 ・テニスシューズ・・船内運動用
 ・ゴルフシューズ(タウンユース)
     ・・・・・プラスチック製:アンコールワットやティカル遺跡
   など 雨の可能性のあるツアーに使用

     ・・・・・革製:ローマ、アテネ、パリなどの街を散策するとき
   使用 及び船内で正装しなければいけないフォーマルディナ
   ー時に使用

4.バッグ
 ・大きなスーツケース1つ
    :船の指定する最大限度の縦横厚さの合計160cm:
     船内では下着やシャツ入れとして使った。
     ベット下に開いて置いておいた

 ・1週間用のスーツケース1つ
    :衣類を送るのと、4泊のフランスツアーに使った

 ・リュックサック
    :自転車用で4泊アンコールワットツアーではこれと
     ウエストポーチで間に合った。

 ・ウエストポーチ
    :ツアーの時パスポート、財布、携帯電話を入れた

5.薬
 ・ルル(風邪薬)
    ・・・・二度目の風邪の引き始めに飲んだら治った
 ・太田胃酸、正露丸
    ・・・・胃腸は壊さなかったので使わなかった
 
6.その他便利だった小物
 ・大きな風呂敷
     ・・・・下段ベットのカーテン用として使った。
        隣の人は毛布をカーテンとして使っていた

 ・折りたたみ式椅子
     ・・・・高さ十数センチのもので、下段ベット横の小さな
        テーブル用の椅子としてパソコン操作の時使った。
 ・メガネ予備
     ・・・・遠近両用、中近両用で過去使用していたものを
        一つづつ持参した。安心できる。

 その他 靴べらなど日常使う小物は小さいのだし
 持参するべきだ。
                                                          
Ⅱ.持って行ったが使わなかった物
 体臭消臭剤・・・・ダンスで汗をかいたができるだけシャワーを
            浴びていた。
                                        以上         


 

2013年1月12日土曜日

航海85日目11月17日(横浜帰港)


2012年11月17日(土)85日目

曇りのち雨。船内時刻=日本時間。歩数:14,123歩、約8.0km

4:00起床。早速8階後方デッキへ行った。星は見えないし自販機はもう使えない。プロムナードデッキ左舷側で店開き。前日の充電不足で、電池がなくなるまでの二時間弱でPC作業は終わることになる。


航海中毎日写真の整理と日記書きをすることができた。この朝の作業とダンス以外の船内活動は、飲み会も含め船内でのいろんな人との交流に終始した。

講演は元朝日新聞記者の伊藤千尋さんだけが印象深い。他の人のはほとんど聞かなかった。登山家の田部井さんの講演は私のオーバーランドツアーとかち合い、残念ながら講演は聴けなかった。
ツアーには交流系と観光系が用意されていたが、全て観光系を選択していた。

予定では囲碁をもう少しする予定だったが、参加者が少なく、したい時にする状態とは程遠く、あまりできなかった。相手が来るまで待ってやろうとする姿勢があればもっとできたかもしれない。でもその分ダンス関係に時間を割くことができたことも事実である。

予定以外のプラス面として、イルカと4度も遭遇でき、しかも全て動画に納めることができたということと、「カメさんの甲羅で一休み
」という題の写真が人・動物部門二位になって写真を希望する20名位の方にお渡ししたことであろうか。

このことは、今回の航海にあたり、幾人かのブログの航海記を参考にして準備を進めてきたことの成果の一つと言える。このことについてはいままで何回か繰り返し書いた。

航海中に始め下船後も活動を継続する項目としてダンスと共に星の観察がある。今航海の準備に参考にさせて頂いた「星の海を夢見て」さんから星の参考資料を戴いていたことで星のことを意識していた。


そして星のオジイサンとの出会いにより星の観測の楽しみを感じることができた。こういう出会いをピースボートの航海は与えてくれたのである。

5時半ころ九州のKちゃんが来て話をしていった。帰国後ブログに航海記録「のりちゃん航海記」をアップすることを伝えた。
これで朝店を広げ毎日よくやったと褒めてくれた昨日の山陰のある県名と同じTさんに続いて二人に、名刺に「のりちゃん航海記」と書いてお渡ししたことになる。

6時近くになってPCの電気が残り少なくなったので電源を落とした。本航海船内でのPC作業は全て終了である。


Iさんが今日もダンスの練習をしているというので船室に荷を置き、KUNIさんから譲ってもらった滑る靴底で既に半分壊れた靴をゴミ箱から取り出し履いて8階スターライトへ行った。
この靴は数日前から破け始めていたが、記念に持ち帰ろうとしたがその余裕がバッグにまったくないので捨てたのである。

Kちゃんと女性たちがワルツの右回り、左回りの練習をしていたので加わった。30分ほどして船の外を見ると房総半島が見えていたので、靴を履き替え10階デッキへ上がった。今日は近づく日本を見ていることにする。


日本が見えた  房総半島だろう


8階後方デッキから

房総半島が見えている(動画)

 6:32撮影

日本でのひさしぶりのサンライズ(6:55撮影)
この後天気は段々悪くなっていった

富士山を探したが雲がかかっておりみえない。GPS信号をキャッチさせた。自宅に電話したところ繋ながり女房が出た。昨日女房は東京に出ていたが、その時富士山が見えたが今日は絶対見えるはずはない、という。三浦半島が近づくに従い雨が降ってきた。

日本国旗が85日ぶりに上がっている


房総方面  東京湾入口


三浦半島方面

そのうち東京湾にはいって人工物が目に入ってきた。でもここが日本かどうかの証明はない。やはり富士山が見えなくてはいけないのである。でも仕方ない。航海中寄港先では雨にはほとんどあっていないのだから、今日が雨だといって不満を言っても仕方ないだろう。でも残念なことは残念である。


東京湾入り口(動画)
8:23撮影

パイロットが乗り込む
いよいよ横浜港着岸準備


釣り船か?


京浜工業地帯


木更津方面


川崎方面


左はパイロットが乗ったことを表す旗


航路を表している
遠く前方に東京湾アクアラインが見える


方向を大きく変え始めた

着岸準備開始(動画)
第77回航海テーマ音楽が流れ始めた
10:20撮影

ダグボートが近づいて来た
10:25撮影


一定距離を保つ


ベイブリッジの説明(動画)
画像は東京湾アクアライン 10:26撮影

横浜港近く(動画)
画像は東京湾アクアライン 10:33撮影

ベイブリッジ近く(動画)
ベイブリッジ 10:35撮影

ベイブリッジ

 横浜港に入った。



横浜港に入った(動画)
10:42撮影

ベイブリッジをくぐった。もうすぐ大桟橋に着く。大桟橋で待つ人がはっきり見える。そして着岸した。
ベイブリッジをくぐる直前

ベイブリッジをくぐる(動画)
10:50撮影



ダグボートが後ろから
ロープで引っ張っている


また防波堤が左右にある


みなとみらい地区
三菱重工の造船所があったところ


大桟橋で待ち受ける人影が


出迎えてくれてありがとう

横浜港着岸直前(動画)
ただただ着岸地点風景を撮影
11:07撮影

隣の桟橋に停泊する船に
「にっぽん丸」と表示されている

にっぽん丸は豪華客船
出航の時のお隣さんは「飛鳥Ⅱ」だった

11:10 着岸間近

着岸直後
7階船室の窓から大桟橋
雨が降っている

下船手続き開始は13時からだ。11時半頃船室友の二人と4階レストランへ昼食を取りに行った。隣は登別のYさんであった。この方は息子さんのお嫁さんと参加しておられる。めずらしい組み合わせと言われるが、りっぱなお母さんだ。いいだけ笑いながらの昼食であった。

もうビールはカサブランカしか取り扱っていないと言うので、カサブランカへ行ってビールの後、ウイスキーの水割りを飲んだ。12時半に10階からパスポート返却が始まった。30~40分して7階が始まった。


クラブ カサブランカ

名画「カサブランカ」のポスターが掲示されている。毎夜カサブランカがここで無声で放映されていた。



カサブランカに同じ名前の
「リクの店」があったそうだ

女優はイングリッド・バークマン
誰がために鐘は鳴る、
にも出ていたのでは?

カサブランカ内部の様子


パスポートも受領し船室へ戻り、荷物を持って5階の舷門に行き、船を出た。パスポート、荷物審査を終わり、カートに乗せられた荷物を運び、運搬会社へスーツケース大と中、段ボール箱の計3つを預けた。身軽になって建屋を出た。



パスポート返却会場
ID番号で列が決まる

左下が航海中の私のベット
さようなら

帰国第一歩


大きく、思い出いっぱいの船だった


審査を待っている


人垣の向こうで演奏がされているが
なぜか演奏の様子は撮影禁止とか
これが本航海最後の6,000枚台目の写真

奥さんを迎えに来ているはずのO君に電話したが出なかったので、雨が降っていることもあり、近くのタクシー乗り場からタクシーに乗り横浜駅へ行った。

そしてそごう地下のレストラン街でマグロ丼とラーメンを食べた。横浜のラーメンは40年前同様舌になじまなかった。一時間後の15時半の宇都宮行の湘南新宿ラインに乗った。

この線のグリーン車は過ごし良い。なにより一本で行けるのがよいし、宇都宮終着だから寝過ごす心配はないし、岡本駅は宇都宮駅から一駅だ。18:15頃岡本駅に着いた。娘が車で迎えに来ていた。途中スーパーで焼酎を購入し、86日ぶりの我が家へ帰った。

終わり

航海84日目11月16日(帰国前日)

2012年11月16日(金)84日目

晴れ。船内時刻=日本時間。歩数:8,801歩、約5.0km

4:30起床。今日はこれで十分である。パッキングデーである。明日はほぼ間違いなく横浜到着だ。今日は会う人、会う人に挨拶しよう。
8階後方デッキには出ることができずに9階デッキへ。お茶は完売マークなので水を購入した。8階プロムナードデッキ左舷側で店開きである。

今日奇妙なことに気が付いた。本来なら明日は横浜到着で、86日目ではなく、85日目ではなかろうか?帰国してからこの疑問を解決しよう。なにせ暇なんだから。


(注釈:両方正しい。船内時間であれば、85日目、日本時間であれば86日目だ。船内では一日25時間の日があったためである。この航海記は船内時間を採用しているため、横浜到着の明日は85日目となる)

今日のイベントはパッキングデーということで荷作り日である。そして船室友とのさよならパーティーⅡである。


6時10分前に8階スターライトへ。ダンス自主練最終日である。I先生と九州のKちゃんは既に来て準備体操をしていた。私はワルツの右回り練習をした。



模範演技を見る

昨日のMさんのKちゃんの手が段々下がってくるので、左腕のひじで上げながら踊った、というのがおかしい。きょうのレッスンはダンス体操である。これはダンスに必要な動きを取り入れた運動で格段に上達するという。

そんなに汗は出ない。横浜に近づいているせいか?7時ちょっと前に今航海のダンスのレッスンは全て終了した。私はまじめに取り組んだ方だろう。腰に不安がなければもっと個人的な自主練に参加したことは間違いない。
まるでダンスと関係ない世界にいたのが多少関係ができたようだ。当然帰国したら公共のダンス教室を探すことになる。

7:00朝食。4階レストランへ。ダンスのオジサンと近頃よくいっしょになる。この方は発表会練習の時一時ルンバのトゥ、スリー
フォー、ワンという掛け声を大きくかけてステップを踏んだため、回りの人が乱されということが起きた。それ以来なぜか食事の時良く一緒になる。自宅は広島だったか?この人とも明日はお別れである。7時40頃船室へ戻った。

誰もいないので、荷物のパックを始めた。段ボール箱の組み立てから開始した。以外にお土産がかさばる。悪戦苦闘して段ボール1つ、スーツケース2つ、スーツ入れ1つ、リュックサック、ウエストポーチ一つに納めることができた。段ボール1つのみの増加ですんだ。
段ボールとスーツケース2つを宅急便で送ることになる。

残りの日記を早朝と反対側の8階プロムナードデッキ右舷側で行う。ほとんどの人は図書館のような使い方。ほんの一部がお喋りである。そういう人は声が大きい。
特に注意書きはないが私も皆に迷惑をかけないように気をつけよう。でも航海はもうすぐ終わり。

10時半頃終了し、部屋へ戻った。Oさんがパックしている最中であった。昼食はKさんと4階レストランへ行った。
13時半頃運送する予定の荷物をピースボートのメンバー数名が受け取りに来た。私は3つ出した。他の二人はそれぞれ2ケと1ケだ。

この部屋の荷物は少ないですね、と言われた。一番荷物の多かったMさんがインフルエンザで荷物ともども別室に隔離されたことも全体荷物が少ない理由となっている。

航海図 明日は横浜


風は弱い?


気圧からいってそんなに
強くはないはずなのだが


次の寄港地は横浜
気温より海温が高い


17:05 GPS信号キャッチ
ようやく屋外デッキへ出ることができた


17:11
横浜方向に見る本航海最後の夕日

夜、Kさんは卓球の宴会があるので、Oさんとなみ平で食事。私は4階レストランで食事済なのでお酒のみ、Oさんは食事をしながらお酒を飲んだ。Oさんの食事が済んだ後、カサブランカへ行き飲んだ。

私は眠たくてたまらず20時に帰って寝た。21時半頃目を覚めカサブランカへ行ったところ九州のKちゃん始め見知った顔ぶれであった。横浜のKさんに呼び止められごいっしょした。
バイーアのフィリッピンの歌手、バンドマスターといっしょである。結局ラストオーダーまでいて1時半頃寝た。

IDカード

CASH支払い済み(今日からは現金支払い)
15:57 PANORAMA  ビール  300円
17:22 カサブランカ  オールド、ジョニーウォーカー
                 900円
19:29  カサブランカ  ジョニ赤    450円
       合計      1,650円(支払い済み)

終わり

2013年1月11日金曜日

航海83日目11月15日(下船説明会。船室友さよならパーティー)

2012年11月15日(木)83日目

曇り時々雨。船内時刻=日本時間、昨夜24時に一時間遅らせた。歩数:13,145歩、約7.5km

3:00起床。8階後方デッキへ行こうとするが、風のため外出禁止なので9階デッキの自販機でお茶を購入しようとするが、売り切れだった。もう補充しないのだろう。紅茶を購入した。8階プロムナードデッキ左舷側のテーブルで店開き。前日のパーティー関係のまとめを楽しくすることができた。

5:45頃ダンス自主練会場の8階スターライトへ行った。九州のKちゃんが一人でステップの練習をしていた。チャチャチャのステップの復習をするため彼に教えてもらうことにした。丁寧に教えてもらった。

I先生の自主練習開始である。ワルツの右回りの練習をした。右回りは右足で前進、左足後進で3拍子なので右足前進の場合は次に左足を最初の向きに対し135度向けて右足を左足に付けて一小節終了だ。

続けて左足を後進し右足を135度向き直し左足を右足に付けて一小節終了だ。何度も練習することだ、と胆に銘じる。汗をかく。一時間ほどで練習は終了した。明日が最終の練習日とのことである。

こんなに練習できたことだけで航海の半分の目的は達成できたようなものだ。あとの半分はダンス関係者や船室友との交流だろう。寄港地や世界遺産めぐりは丸々プラスとなる勘定か?いやどれがプラス分かは問題ではない。ただ想定していた感激や感動を上回ったことは事実である。

船内はカルチャーセンター化しており、同好会も含め、たくさんの企画がある。どれを選ぶかは自由であるが、選びすぎではないかという人もいる。しかし発表会まで行った人はえらい。しっかり落ちこぼれずにやリ通したということだ。

私は15の発表会に出場したご婦人を知っている。この人はダンスの発表会でも模範演技ともいえるワルツ8組16人に入ることもできているというスーパーレディだ。この船に乗ってからダンスを始めた人でこの模範演技に選ばれたのは女性2人のみである。発表会までこぎつけたということは挫折しなかったということだ。その人は平塚のTさんだ。

この方は夜日本の自宅ではTV鑑賞の時間を船では何かの企画に参加していたのだ。私は17:30以降は食事とお酒の時間であった。えらい違いだと思う。

7:00朝食。4階レストランへ行く。ダンスの練習参加者全員で行くとは限らない。汗をかいているのでそれの処理のため船室に戻る人もいるのである。話題は帰国準備のことだ。パックデーは16日だが、もう始めた方もいる。今日「横浜下船説明会」で説明を聞いた後パックする人が多いだろう。私は16日実施の予定だ。

船室に戻り、焼き付けてお渡しする写真をUSBに落として、9時過ぎにSHOPへ行って焼き付けた。主に今まで写真を差し上げていない方の写真を選んだ。そして差し上げる人を探しに8階公共スペースを散歩した。

かっちゃんと踊った西東京のMさんとIちゃんの写真、及び私とのスリーショットのRIちゃん、Iさんを探した。まずMさんを探し当てた。他の人はなかなか今日は見かけない。夕方近くになってようやく皆さんにお渡しできた。


太平洋  日本は近い


航海図  中心の○は昨日14日正午時点の位置


surface window  強い


気圧  低気圧に向かっている


航海情報


雨の中で撮影した虹  手を出せば届く距離  8階デッキ後ろ右舷側

話は少し戻り、11時頃、横浜のKさんが昨夜の集合写真を購入できるのでSHOPへ行くように、と教えてくれた。データの入ったカードを何人か分を印刷し、各人のIDカードで精算するのである。次回は14時にSHOP前集合ということを聞いたので、8階左舷側の長椅子にいた購入希望のハルさん達に伝えた。

12:00昼食。4階レストラン

もう昼食はいらないなァーと言いながらも食べてしまう。ただ量は女性より少ないくらいである。山口のYさん、若いAKアキちゃんを共通項とした麻雀とダンスチームでの昼食となった。麻雀先生2人への感謝会だそうだ。そして14:30まで昼寝。

15:00~16:00「横浜下船説明会」8階スターライト

夕食は早めの食事と遅めの食事の2つに分けているが、この説明会も夕食の早、遅2組に分けて参加する全員参加の説明会である。

天候の影響で17日昼頃到着の予定という。結局一日遅れの到着となる。一日余分に船旅を楽しめることになった。しかしホテルや交通機関の予約のキャンセル等の手続きをしなければいけない人もいるので軽々しく喜ぶわけにはいかない。


下船説明(JG)










グアテマラでの地震支援要請(ピースボート)





下船までの手順などの説明の後、GETやピースボートのスタッフの紹介があった。



GET教師


GET教師(動画)
航海中熱心に教えてくれたGETの
先生たちが改めて紹介された
生徒たちは謙虚な方が多いようだ


ピースボートスタッフ


CC (コミュニケーション・
コーディネーター 通訳)

船室に一度戻りグァテマラでの地震への支援金を1,000円出した。グァテマラは日本での知名度が低く地震の報道はされていないようだ。私もマヤ文明ティカル遺跡へ行くことで初めて知った国である。海を見たりしながら時間を過ごした。

17:30夕食。4階レストラン


隣席は水彩画の先生である。この講座も人気が高かった。行方不明になってしまった先生の絵はでてこなかったようだ。価値のあるものは置きっぱなしにするとなくなるようだ。多分日本の大都会の公園と同じであろう。

カメラを置き忘れて1時間後にはなくなった、と実際に直接私が伺った例をお話しした。残念なことではある。世界的に見て稀有な落し物を拾ったら届ける習慣のある日本人だってそういう事に対し希薄な人もいるだろう。ましては船の中は国際色豊かである。


18時ころ8階アゴラで徹夜で船内一周タスキリレー中の船室友の2人に引き込まれ歩くチームに入ってしまった。思い出の場所を歩き、そこで写真を撮りながら歩いた。20分後出発点に戻り終了した。



バイーア

さぁなみ平で船室友3人のサヨナラパーティーだ。なみ平はまだすいているが、そのうち満員になるのだ。交流会がそこいらで始まる。Oさんの肝いりでMさんも参加する。この方はダンス発表会の模範演技出場16人のうちの今航海で始めた人で出場する2人のうちの一人である。

残っているボトルキープの酒を片付け、次のカサブランカへ移動し、現在インフルエンザの疑いで隔離されていて処理することができないので処理するよう頼まれた船室友のMさんのジョニ赤も片付け、私のバイーアで残っていた酒も片付けた。


明日はまだ船室友共有の金として5,000円分を片付ける必要があるのだ。まだまださよならパーティーは続くのである。

IDカード


09:35 SHOP    L版プリント5    200円

12:18 カサブランカ   缶ビール        345円

  合計               545円


終わり