2012年12月11日火曜日

航海30日目9月22日トルコ イスタンブール1日目①(トプカプ宮殿)

2012年度9月22日(土)30日目

晴れ。現地時刻:日本ー6h(昨夕 イスタンブールで1h進めた)。歩数記録無し


空港とイスタンブール観光箇所
左:空港   右上:トプカプ宮殿
右中:アヤソフィア  右下:ブルーモスク

上:トプカピ宮殿  中:アヤソフィア  下:ブルーモスク

4:30起床。7時半まで一気に作業を進める。同室の元教師のSさんは部屋でやってもいいよ、とは言ってくれているが、まずは遠慮して洗面室で始めた。日記にはイスタンブールに着いてホッとしたことを強調した。

6時頃10分位の散歩をした。朝晩の温度は低い、緯度が青森と同じらしいので納得する。私は、日本では秋に使用するジャンパーを持ってきた。

半袖で来た人がいる。その人用にホテルの入り口付近にはジャンパーを片手に持った売り手がいた。買った人がいる。これこそ需要と供給の絶妙なタイミングである。他のホテルの前にもいる。きっとこの時期こういう需要が発生するのだろう。


これが2泊するMADISON ホテル


NIPPON HOTEL 隣のホテルで、
日本とはまったく関係がないと


MADISON HOTEL周辺散歩
誰もいない店頭に果物が展示されている

7時からはホテルのレストランで朝食。チーズの種類が多いので、野菜とチーズを主体にした。テーブルは同室のSさんと座った。結局腹いっぱい食べた。歯ブラシがないのを思い出し、帰りにフロントで尋ねたところ、もらえるらしい。部屋に着いたらすぐにドアがノックされ、歯ブラシを渡された。これがこちらのホテルの標準のようだ。


朝食   チーズ各種を食べた

さて出かける用意をした。部屋の大き目の金庫にはPCと関連備品とパスポートを入れるつもりである。うまくいかない。結局、添乗員を通してホテル従業員にも手伝ってもらい不具合を直し使えるようにした。集合時間までに余裕があったので焦ることなく済ますことができた。

トプカプ宮殿、アヤソフィヤ、ブルーモスク、バザールを回った。写真で説明するバザールの画像があまり撮れていない。電池残量が最低になっていたのでその影響かもしれない。

イスタンブールには多くの国から観光客が来ている。日本人の観光客も多くいたが、中国人との区別はできるが、韓国人との区別は話をしないとわからない。バザールではセラミック製でイスタンブールとアルファベットで入った鍋敷き3枚25ドルで購入した。

イスタンブール

ボスポラス海峡をはさんでアジアアナトリア半島)側とヨーロッパトラキア地方)側の両方に拡がっており、2大陸にまたがる大都市である。首都アンカラを上回る同国最大の都市であり、文化・経済の中心となっている。

イスタンブル県県都でもある。2000年の人口は約880万人で、イスタンブル県全体では1000万人を越える。2010年の近郊を含む都市的地域の人口は1,313万人であり、世界有数のメガシティといえる[1]

モスクワロンドンルール地方パリに並ぶヨーロッパ屈指の人口規模をもち、2012年、アメリカのシンクタンクが公表したビジネス人材文化政治などを対象とした総合的な世界都市ランキングにおいて、世界第37位の都市と評価された[2]


その歴史は長く、かつてのローマ帝国東ローマ帝国中世ローマ帝国)、ラテン帝国第4回十字軍)、オスマン帝国の首都が置かれていた。イスタンブルの歴史地区世界遺産に登録されている。2010年欧州文化首都だった。(以上  ウィキペディヤより引用)

イスタンブールはボスポラス海峡を隔ててヨーロッパ側とアジア側に分かれ、ヨーロッパ側は金角湾を隔ててさらに旧市街と新市街に分けられる。世界遺産はこの旧市街、金角湾に突き出した底辺6km、高さ7kmほどの三角形の半島に集中している。                    
車中から


新市街地から旧市街地へ


新ガラタ橋  海を渡る


魚を釣っている


何が釣れる?
トプカプ宮殿
メフメト2世が、1460年代頃造営を開始し、1478年頃までに完成した。メフメト2世がここに居を定めてからは、1453年コンスタンティノープルを征服して以来の宮殿が「旧宮殿」と呼ばれるようになったのに対して「新宮殿」(サライ・ジェディードあるいはイェニ・サライ)と呼ばれ、またイスタンブルに営まれた多くの宮殿のうちの正宮殿として「帝王の宮殿」(サライ・ヒュマーユーン)とも呼ばれた。

現在使われているトプカプ宮殿の名は、19世紀にこの宮殿から皇帝が去った後、トプカプ宮殿の丘がある岬の先端にある「大砲の門」(トルコ語:トプカプ)にちなんで呼ばれるようになった。 宮殿は君主の住居であると同時に、オスマン帝国の行政の中心地として機能した。

君主(のちには大宰相)が主催するオスマン帝国の最高意思決定機関である御前会議(ディーワーヌ・ヒュマーユーン)は、宮殿の「ドームの間」(クッベ・アルトゥ)と呼ばれる部屋で開かれ、古い時代にはさらに「ドームの間」の隣には中央政府の書記局と、帝国の公文書や宝物・税金を蓄える国庫が置かれた。

(ウィキペディアより引用)

城壁の一部


水道橋


朝のマーケット


トプカプ宮殿


トプカピ宮殿「帝王の門」


トプカプ入場券


第一門までの景色


第一門までの景色


第一門入口


入口上  アラビア文字


中庭


世界各国から多くの人が来ている


きれいな中庭


第2の門「挨拶の門」


門の中の上


X線検査


宮殿概要


周辺景色


ガイド  私たちはRチーム


進行方向右手の煙突は炊事場の


また門だ「幸福の門」


きれいな中庭


図書館


トプカプ宮殿


財宝館へ並んだ
三つの建屋があるが中は撮影禁止である
ガイドさんのお勧めスポット

 財宝館にはダイヤなどの貴金属はいっぱい陳列されていた。


テラスからの眺望はすばらしい
右がアジア側


すばらしいテラスからの眺望


眺望


いろんな国の人が来ている


左はトプカプ宮殿


トプカプ宮殿


眺望


眺望


眺望を撮影していたテラス
左はトプカプ宮殿
現在はレストランのようだった


集合場所で待つピースボートツアー客

ガイドさんと
 ①終わり


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