2012年11月20日火曜日

航海3日目8月26日(カルチャースクール説明会)

2012年8月26日(日)3日目

風が強いため船の揺れが大きい。震度1から3まで程度の瞬間的な揺れがある。雲の様子から雨は降っていないようであるが、風で水しぶきがデッキに降りかかって、デッキはびしゃびしゃである。屋外での写真はゼロだ。

歩数9,991歩、約6km(距離は歩数*0.6mで計算しているので本日のは正確ではない。多分船の揺れによるよろめきも歩数にカウントしているだろうから)

2:10起床。昨日同様8階プロムナードデッキ右舷側で写真整理と日記書き。若人数名が傍を通る。夜通しなのであろう。揺れる、かなり揺れる。ドシンという瞬間的な揺れは震度1から3程度か?4以上はないようである。地震のように長く続かないからそう思うだけかもしれない。昨日同じ時間に挨拶を交わした若人が来て挨拶を交わした後、傍の椅子で眠ってしまった。

4時頃、8階後方のデッキへ出てみる。デッキは飛沫でビショビショであるとともに揺れにより怖いという感じ、すぐ中に戻って日記書きを続けた。この時間になると、クルーの清掃作業が始まった。乗客もちらほら見かけるようになってきた。


屋外デッキに出ることは禁止された


海は荒れている
窓越しに撮影した


航海図
本日正午には沖縄の真東
台風の影響有

4時半頃から話しかけてきた方の話を30分以上相槌を打ちながら話を聞いた。話をするのがお好きな方のようである。5時過ぎ船室へ戻り同室の方々が起床しているのを確認してから、ベット脇の小さなテーブルで持参した小さな椅子に座りPC操作を続けた。椅子の高さがちょうどよく、うまく作業ができた。これも5月4日のこの船の船内見学会のときの船室内の写真が役にたったのである。

6時からのデッキでの太極拳は中止と勝手に思い込みPC操作を続けた。6時半からのラジオ体操は雨天時は7階前方のブロードウエイでの実施だ。揺れる床上での体操も思い出となるのだろう。先生は前日と変わり女性。終了後9階ビュッフェレストランでモーニングコーヒーを戴いた。

7:00朝食を取りに4階メインレストランへ同室の方々と行った。合席の女性の一人は沖縄からの年輩の女性で、出発3日前に横浜に来ていたとか。理由は今沖縄に上陸しようとしている14号、15号の2つの台風のリスクを考えたからだそうだ。

早めに上京しゆっくり過ごせたのでこれはこれで良かったようである。沖縄は住居はコンクリートで作っているので台風には強い、とのこと。お墓は家と同じ大きさに作るとか。でも最近は変わりつつあるようだ。

7:45落語。8階スターライト
桂米朝の落語のCDを聞いた。いつの間にか眠ってしまったようだ。椅子に腰かけて短い時間眠るとスッキリするが、これは根拠がある。そのためある高校で昼15分の昼寝時間を実施しているとNHKで放映したことがある。

今航海では素直に眠たい時は椅子に腰かけたまま眠ることにしている。横になって眠ると時間単位で眠ってしまい、自分の夜と昼の時間帯が変わってしまう可能性があるからである。

世界遺産を識る、の講演は中止となった。講師の船酔いが原因らしいが、酒酔い、という噂もあるが、どちらでも良いことである。スケジュールは毎日発行される船内新聞に記載されているのでそれを参考に動き回ることになる。

その船内新聞の確認をしていたら、77回限定Tシャツ数量限定で発売中!、という広告が目に留まったので売店へ行った。数種類あったが、大きく分けて2種類だ。服装では選ぶのに迷うことなどない私にはめずらしく選択に迷ってしまった。やはり気持ちのどこかにこの航海は最初で最後のもの、と考えているからであろう。


購入した77回航海記念Tシャツ

11:45~12:45洋上カルチャースクール説明会。7階ブロードウェイ
船室は7049なので近くでよい。私は、無料GETは以前から決めている。ダンスはこの時の説明を聞いて社交ダンスにしようかな。

12:20頃昼食。9階ビュッフェレストラン
相変わらず飛沫が小雨のようにデッキへ降ってくる。プールサイドから後方のビュッフェへ行った。合席は御夫婦かと思ったら兄妹そうな。両方の相方が仕事の関係で参加できないので2人で参加したとか。

食事の内容は3食とも日本人の味や量(ビュッフェでは量は自分で決めるので関係ないが)を良く把握していると感じる。そのためか今までのピースボートの航海記に食事への不満は見受けられない。

13:45~15:00講演。僕の人生谷あり、底あり、だから山がやってくる。宇井孝司。アニメーション監督

手塚治虫さんのライオン大帝の監督だったようだ。この方は世の中に身をまかせて生きていくうち成功を収めた方のようである。私は「CALLING」という言葉を思い出す。日本語の「天職」の英語訳であるそうな。神がその仕事をさせるために呼んだ、とでもいうのであろうか?この方もそのひとりであろう。その紹介だけでは不足だろう。せめてどういう努力をしたかを聴かせてもらいたかった。こういう多少の不満を持ちながら次の講演を待った。

15:45~17:00。なぜベトナムはアメリカに勝てたのか。伊藤千尋。朝日新聞社記者
私は、航海前は時間があったら水先案内人の話は聞く、という選択科目であった(田部井さんの話のみ必修科目)昨日時間があったので聞いたこの方の話に引かれ、今日も聞くことにしたのである。

この方なりのなぜなぜと行動力と必然性から導き出した結論であるベトナムは兵隊だけでなく、ベトナム国民全体とアメリカ軍との戦争である、は説得力があった。感激した方は素直にその旨の声をかけていた。さてこの先生には後でさらに感激させてもらえるのである。

この講演で先生が、ベトナムへ行ったことのある人?、とかこの航海のリピーターの人?とかの質問にたくさんの方が手を挙げているのに先生も驚いているようだった。

18時半頃なみ平で焼酎のボトルキープし水割り2杯。

18:30~19:30歌の旅人。伊藤千尋
時間帯といい、題名といい、歌声喫茶でもやるのかと思っていた。それにしても先ほど講演した伊藤さんが主演?だしなんだろうと思っていた。そうすると赤トンボ、小さい夏、上を向いてあるこう等4曲を皆で歌った後、その曲の成り立ち、特に作詞者と家族の関わりと詩の関わりの説明であった。これまたこの伊藤さんならではのお仕事だ。

私は先ほどの、ベトナム・・・とこの歌の旅人を同じ伊藤さんがやられたということに再度感激したのである。明日は神田川、夢そうそうをやってくれるとか。楽しみである。


会場は8階アゴラ

そのあとなみ平でちょっとひっかけキャビンへ帰る。
21時半ころ就寝。

終わり

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