2012年12月15日土曜日

航海35日目9月27日(ローマ①)

2012年9月27日(木)35日目


晴れ。現地時刻:日本ー7h、時差調整無し。歩数:20,711歩、約11.8km。

オプショナルツアー:Lローマ観光2日間、38,000円

ローマ観光主な足跡
左:バチカン  中上:スペイン広場  中中:トレビの泉
中下:フェロロマーノ  右:コロッセオ、凱旋門

下の方に見える「真実の口」にも行ったぞ
主にヘップバーンの「ローマの休日」の世界

2:20起床。前日は静養にあてていたし寝るのも早かったので早めに目を覚ました。今日からローマ2日間のツアーである。まず10階オープンデッキで星の確認からであるが、今日も星はぱっとしたものではない。

8階プロムナードデッキで店を開き作業開始である。昨日は一日船の中で、かつ養生日として活動はしなかったにしても書くネタはつきないものだ。

5:40頃跡形付けをし、船室へ一度戻り、荷物を置いて10階オープンデッキへ出たところ船はいつのまにかチビタベッキヤ港に停泊していた。ローマに近いから古代ローマ時代からローマと共に活躍した港であろう。

今日は太極拳、ラジオ体操等船内の企画は全て休みである。10階オープンデッキには人が集まり港を眺めていたり写真を撮っている。


ローマは南東90km1.5hの距離

5:48 チビタベッキヤ港
緯度は函館と同じ

今日は世界旅行デー


5:54  船尾方向

7:00朝食。4階メインレストラン
まだ時々せき込むし、声がしゃがれていることからなるべくしゃべらないようにして食べた。そのためどんな人と合席になったのかまったく記憶がない。


7:56 クルーズ船が何隻もいる


古代ローマの遺跡

8:15までに7階ブロードウエイに集まった。既にバスの割り当てはID番号で発表されていた。全部で4台のバスに分乗するが、私はL-3である。若い添乗員である。しかしガイドはローマに住んで30年、ガイド歴14年のSさんである。

見学が開始すると、SさんがL-3の旗を持ち先導し、添乗員もL-3の旗を持ち後ろを守っていた。バスが動き始めると早速、ガイドの説明が始まった。

古代ローマ時代の造船所跡やミケランジェロも一部設計に加わった城壁等があり、すでにローマに関する遺跡が出現し始めた。古代ローマについては、昔スペクタクル映画として古代ローマ映画の大作が作られ、私は観たものである。

主演カークダグラスの「スパルタカス」、主演チャールトンヘストン「ベンハー」、主演エリザベステーラー「クレオパトラ」等である。スパルタカスは剣闘士なのでコロッセオ、ベンハーは戦車での競技に参加するし、浴場での場面も出てくる。クレオパトラではシーザーが出てきた、と記憶している。50年ほど前の記憶である。


イタリアへの第一歩

城壁 
 
ミケランジェロはこの部分の設計に
参加している


城壁が町に溶け込んでいる


古代造船所跡

現代ローマの映画は、やはりオードリーヘップバーンの「ローマの休日」である。昨夜も船内シネマで放映され、たくさんの方が見ていた。これも私は前述の映画と同じころ見た。ローマの休日の封切りは昭和29年であり、私が見たのはそれから約8年後のリバイバル公開のころである。

つまり私のローマに対する知識や印象は映画によって形成されているのである。しかもヒットした映画によってである。このことが吉とでるか凶と出るかである。

ローマはチビタベッキヤ港から約90km南東である。車窓からみる郊外の様子はこれといった特徴はない。日本にもある平凡な景色である。エジプトのように砂漠が続くというような気持ちが寒くなることはなかった。


これがイタリア
チビタベッキヤ港からローマまで90km南下


別荘地帯
イタリアは5,700万人 20州 山が多い  
前9世紀~前1世紀に古代ローマ前の人種が
いた一帯 この人種は古代ローマへ吸収された


乗っているバス  SAで

世界各国からの観光客が多い
ということはポイ捨てする習慣の人もいるのだろう
ゴミがところどころに  SAで

ローマに入ってきた


ローマの松の木は有名  笠松


古代ローマ城壁AD3世紀  卑弥呼の時代よりちょっと前

古代城壁

カラカラ浴場などの遺跡を車上から見た後、コロッセオ近くにバスは停車し歩き始めた。近くのお店でトイレを借りながら進んだ。途中高速道路のSAでトイレ休憩しようとしたが、女性のトイレは長蛇の列であり、急遽変更したのである。さすがベテランガイドさんだ。


カラカラ浴場跡  カラカラ帝の時建設された

カラカラ浴場は各種趣向の浴場のほかに
図書館まで併設していた、と

トイレを待つ間コロッセオをちょっとした高台から見ることができた。コロッセオは5万人収容のスタジアムで、人と猛獣、人と人の殺し合いを娯楽としてみせたのである。

映画のスパルタカスは奴隷であり、剣闘士として訓練されていたのである。その血なまぐさいコロッセオである。もはや、とうにその役割を終えたのであるが、今は観光への寄与を求められ、たくさんの人を集め今も活躍しているのである。


コロッセオ近くの複数のお店で
トイレを借りた


トイレを借りたお店近くの高台からのコロッセオとたくさんの観光客

道路を渡ってコロッセオへ(動画)
ガイドのSさんの後について
道路を渡りコロッセオへ


左:コロッセオ  中央:凱旋門
観光客がひしめいている


ゲート名  券にすり込まれていたらしい


左:クリーニング前、右:クリーニング後


南側   コロッセオの穴ぼこは
中の釘を抜いて使ったためと

近くに凱旋門がある。ナポレオンはこの凱旋門を真似してパリに凱旋門をつくったらしい。この凱旋門はホロロマーノとつながっており戦いに勝った将軍や兵隊はここを通り、ホロロマーノの官庁街に向かったのだろう。

この二つの遺跡は近くにあり、古代ローマを象徴する建造物だ。ローマは古代遺跡の上10mにできた町のため、地下鉄が2路線しかなく渋滞しやすい、とのことである。今でも発掘中の遺跡があるようだ。


凱旋門  右がコロッセオ

凱旋門左上部の彫刻


凱旋門右上部の彫刻


凱旋門左彫刻


凱旋門右彫刻

凱旋門とコロッセオのツーショット

そこから歩いてホロロマーノ遺跡へやってきた。元老院や公文書館などがある。元老院は教会として使われたのでしっかり残っている。公文書館はローマ市役所として使われているとか。こちらは一度建てると、日本の木造建設とは違い、スクラップ&ビルト、というわけにはいかぬものらしい。

遺跡が現在に溶け込んでしまっているローマなのである。道路も古代ローマから使っている。数センチ角の敷石の道路は古代ローマから使っているようだ。全部かどうか知らないが。


入口付近の案内板
ローマの一番領土が大きかったとき


ホロロマーノ遺跡  古代ローマ中心部の公共施設跡


真ん中奥は古代遺跡上に現在のローマ市庁舎が


元老院  
教会として使っていたのでよく手入れされている


殺されたシーザーを焼いたところ


シーザーも歩いた石畳


公文書館だった遺跡上の市庁舎
(明るい色の部分)


この道は凱旋門に繋がっている
聖なる木(オリーブ、イチジク、ブドウ)


ローマの灯の館跡
バージンによって守られていた
その人たちは優遇されていた

  もし約束を守らなかった時は
生き埋めにされた

①終わり




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