2012年12月16日日曜日

航海36日目9月28日(バチカン市国①)

2012年9月28日(金)36日目

曇り。朝ちょっと雨。現地時間:日本時間ー7h。歩数:9,001歩、約5.1km

4:30起床。昨夜0時頃寝たのだからいい時間である。でもちょっと眠い。不足分はバスの中で取ることにしよう。写真のコメントを手帳のメモなどをたよりにインプットしていく。

ローマは良い印象である。今日はバチカン市国見学を中心としたツアーである。私はクリスチャンではないので歴史及び昔からの美術品を直に見ることへの興味を持って訪れる。

ホリディイン419号室は快適であった。昨夜は空調を切って寝た。同室の方は昨夜はすぐ寝たようだった。私は有料でwifi一時間を購入した。極端なのである。24時間か1時間の2つの選択しかないのである。急いでメールを書きまくった。

奥方とそのお姉さんが参加しているO君に初めてメールした。内容は貴殿の奥方と時々顔を合わせるし、頑張っているようだよ、と。実際奥方はGETで、亭主であるO君の英会話レベルに追いつきたいと頑張っていたのである。GETでの勉強の大変さは既にブログの航海記に書かれていたので知っている。

朝食のとき、エレベーターでいっしょになった数名とレストランへ行った。一人ひとり部屋番号を告げると係りの人があっちだこっちだと指示していた。

前のご夫婦のご主人がsame groupと言った。そうしたら係りの人がご夫婦の前の東洋人に指示したのと同じ方を指差したので行ったらこの東洋人のグループは中国人であり、係りの人に、私たちは中国人、この人達は日本人とかなんとか英語で言い始めた。なんでそんなことを言うのだろう?

やがて係りの人はまったく違う方のテーブルを指差した。どこかで何か間違いがあったのだろう。広いレストランで余裕があるので中国人と日本人は分けた方が無難である。

中国人のグループと日本の鬼怒川温泉のホテルで一度同じになったことがあるが、大きな声で会話を楽しむのに閉口したことがある。それ以来一緒になることはない。(後日談 このころ尖閣列島問題で日本と中国の間が冷えていたらしい)

生野菜をくれるよう依頼すると大きな皿に盛ってきて他の食べ物と並べたので取ってきた。オリーブ油がかかっていた。今朝もいっぱい食べた。

会話のなかでカメラの紛失についての話があった。船内で公共スペースにカメラを置いてきたことを思い出し、一時間後に取りに行ったが既に無くなっていたと。出航後からギリシャまでの写真が写っていたらしく本人は残念がっていたとのことだ。同情する。

しかし、私はこういうことがあることを知っていた。ピースボートの航海のブログによってである。それで私はいつも首から紐でかけて胸ポケットへいれているのである。こうすることでちょっとどこかに置いて忘れてしまうという失敗防止とかイルカの急な出現にも対応できているのである。

朝と夕方の食事は船内では4階のメインレストランですることが多いが、ここでは席が指定される。つまりテーブルにつくと最大8名の定員いっぱいの人とお話しできるのである。船内の情報交換も重要な事項である。このホテルのテーブルでも定員いっぱいの方々と昨日のローマの思い出などのお話を楽しんだのである。


宿泊したホテル


ホテル前景

419号室キー


部屋


洗面所

9時15分頃バスに乗り込み出発である。今日はバチカン市国のサンピエトロ寺院、美術館見学である。キリスト教への迫害から方向転換し国教としたローマ帝国、やがてバチカン市国がカトリックの総本山となった、という知識しか私には無い。日本の仏教との違いは規模の違いが考えられる。対象となる人の数が違う。それがどのような形で違っているのかに興味を持っていた。


ローマも車が多い


出発して数分すると大聖堂の
ドームが見えてきた

国境の壁がすごい。白黒つけたがる人種なるがゆえか?それとも別な意味があるのか?バチカン市国を作った理由もわからない私には国境の壁の持つ意味もわからないのは当たり前だろう。まず美術館である。壁に入口が設けられている。入ると空港と同じようなX線の手荷物検査である。


バチカン市国との境界の壁


テレべ川


ハドリアヌス皇帝の墓


石柱も国境


国境の壁

国境の高い壁 


高い壁の反対側


バチカン美術館


入場券


バチカン市国への第一歩


手荷物検査を待つたくさんの人

長いエスカレータで上り中庭へ出た。ここらあたりにも江戸時代初めあたりにできた美術品や建造物があるなかで20世紀にできた球という作品が珍しいものであった。

美術館の廊下は大きく3つに分けられ、彫刻、織物、地図で構成されていた。時代は古いが、きらびやかでよく保存されている。とにかくたくさんの人がいる。いろんな国から来ているのだ。中国からの人もいる。


高く長いエスカレーターで中庭へ


2000年前に作られた唐松、鳥
唐松は噴水だった  400年前からここにある


球  1990年


球の説明板


1700年様式の階段
大理石、柱、天井がポイント


天井も階段とセットで評価される


画廊入り口


噴水


骨壺


きれいで立派  用途は聴き落とした


2世紀モザイク  食料事情がわかる


ヘレニズム文明
BC4世紀


たくさんの見物人


きれい


次の回廊へ


コブアン織

織物回廊の雰囲気(動画)



天井の絵画は彫刻と思われるが絵である
ルネッサンスの手法


これも織物


織物


織物


地図の廊下


天井


バチカン市国は世界に
向け放送もしている


1600年代に作ったイタリアの地図
かなり精巧にできている

次はシスティーナ礼拝堂である。撮影禁止である。入る前に掲示物を前に中の絵の説明を受けたミケランジェロの天地創造は天井に描かれている大作である。33歳から12年間かかって描いたようである。首がさぞかし痛かったことだろう。

壁画の審判はミケランジェロ61歳~68歳までかかって描いたとか。自画像や自分をいじめた人の顔もいれたそうな。

中に入った。すごい人である。お行儀の悪い東洋人が壁画をフラッシュを使って撮影している(撮影禁止なので盗撮か)。

この部屋の絵はきれいである。日本の日テレが1980年から15年かけて煤を取りきれいにしたとか。問題ないことを示すためにところどころきれいにしない部分を残したらしい。人の波に押されて進む。待ち合わせ場所で待ち、グループで室外へ出た。

バチカン①終わり

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