2012年12月20日木曜日

航海42日目10月4日パリ4日目②(ルーブル美術館)


オルセー駅で降り、セーヌ川を渡ったところのカフェで昼食を取った。13時を過ぎているのにまだ混んでいる。サンドイッチとサラダとを頼んだ。フランス料理は味はともかく量が多く腹が疲れているので少な目にした。

時間かけて食べた。食べ終わり、ご夫婦と若者2人は別行動となり、我ら熟年三人と若者一人のチームで行動することになった。


ルーブル美術館に行くために
近くのオルセー駅で降りた


オルセー美術館


セーヌ川の向こうにルーブル美術館

私たちも先日乗った遊覧船

昼食を取ったカフェ


4人でシェアー


左の日本でも食べる普通のチーズに
右のマーガリンがついてきた

両方パンにつけることができるので
そういうことか?  例え店員に
聞いても言葉の大きな壁がある

ルーブル美術館も昔の王宮だったので立派である。ガラスの三角から地下へ降りて切符を買い中に入った。11ユーロで安い。空港と同じような安全検査があった。


ルーブル美術館


美術館構内にさりげなく置かれたブロンズ像


ルーブル美術館構内の凱旋門


三角のガラスのところが入口


たくさんの人が  でも夏休みも
終わったので少なくなったとか


入場券  11ユーロって安くない?

日本語の案内図をもらったがわかりにくい。訊きながら足で稼ぐしかない。ここで他の熟年二人の執念のおかげで人気のある彫刻や絵画9つ(+1;教科書に出ていた絵)に出会えたのである。

私がもし一人で来ていたなら、モナリザ、ミロのビーナス、ナポレオンの戴冠式の3つを探して満足してカフェに行っていたであったろう。私たちは歩いた。昼2時から夕方6時まで7kmは歩いたかもしれない(万歩計からの推定)。


エジプトのコーナーから見学開始

天井の壁画  王宮だったころの名残

古代ギリシャゾーン2点

ギリシャは彫刻の印象が
強いが壺もあった

古代ギリシャの彫刻(動画)
古代ギリシャゾーンはこれだけではない

サモトラケのニッケ(案内書に記載有名美術品)  横から


サントラケのニッケと 大きい


あれ、エジプトゾーンに戻ってしまった

ようやくモナリザを探し当てた。ほとんどの絵はケースには入っていないが、モナリザの絵はケースに入っている。しかし照明などの反射は最小限に抑える工夫がされている。絵の前には人がたくさんいた。

大きな絵  この部屋にモナリザはいた


たくさんの人  日本人も多く
いたけれど中国人も多かった


たくさんの人の向こうにモナリザ

スリ対策としてジャンパーで隠したウエストポーチを手で押さえながら人ごみの中に入り、一番前にでてモナリザの写真を撮影条件をいろいろ変え撮影した。動画も撮った。動画は雰囲気を音と共に取れるので有効な手段だ。


モナリザ  昭和48年か49年上野に来て見に行って以来40年弱ぶり  あの時は立ち止まることができず、そろそろと歩きながら観た 今日は良く見ることができた 案内書有名美術品

モナリザのアップ
この絵の写真を掲載できることをうれしく感じる

モナリザの前で(動画)
モナリザと観客の様子

これで同行のナカさんは勢いづき続けて案内図に出ている有名な絵画、彫刻を次々見つけ出した。日本人の団体も多くいた。それはガイドさんが日本語で説明しているのでわかる。

中国人の団体も多かった。私が行ったツアーの訪問先には必ず中国人がいた。夕方5時を過ぎると人は少なくなってきた。団体で来ている場合には夕食の時間となるからである。


ナポレオンの戴冠式(案内書有名美術品)  
ノートルダム寺院で行われたと


アングル作「グランド・オダリスク」  上半身が長いのが特徴
下の絵のドラクロアとはライバル関係であった、とNHKBSで放映していた

7月革命を題材にしたドラクロア作「民衆を導く自由の女神」
教科書に載っていた 教科書の写真の原画・現物に出会うとうれしくなる


奴隷(案内書有名美術品)


アモルの接吻で蘇るプシュケ(案内書有名美術品)


ミロのビーナス(案内書有名美術品)

アップに耐えるミロのビーナス


スフィンクス


左のラメス2世像(案内書有名美術品)と周辺


黄金でできている


女性の肖像画(案内書有名美術品)と周辺


マグダラのマリア(案内書有名美術品)

私たちは有名美術品9点+1点(教科書に載っていた絵)に巡り合うという大戦果を収め、満足して美術館を後にした。


ガラスの三角形の下から


少なくなってきたとはいえまだ人は多い


ガラスの三角形から出てきた


空にはたくさんの飛行機雲が

見学を終わって(動画)
大満足して美術館から出てきた

帰りはタクシーを使った。なかなかタクシーは捕まらない。傍を通りかかったフランス人に聞くと、手を上げればよい、と英語で答えてくれた。自信を持って手を上げ続け、やっとタクシーに乗ることができ、ミレニアムホテルに帰ってくることができた。1ユーロのチップも含め15ユーロであった。4人が旅行の最小単位とはタクシーを意識してのことである。

他の3人はこれからカンカン踊りの観劇とか。ホテルで予約が取れていたことを確認できたらしい。私は彼らとホテルで別れ、近くのギャラリー・ラファイエット百貨店へ行き娘へのお土産のマフラーを買った。色は日ハムのユニフォームの肌色主体の色彩で花模様を立体的に編みこんだものである。

百貨店に入ってすぐのところが女性用のマフラーが売っていたので助かった。そうでなければお互いあやしい英語で店員とコミュニケーションを取る必要があるからである。

一度ホテルに帰ってから食事に出かけた。近くの日本食レストランは客がいないので近くのカフェにした。屋内の二人用のテーブルに座りチーズを挟んだパンとワインを注文した。隣のテーブルでは中国人女性三人が会食中であった。部屋に帰り、ワインを少し飲み、シャワーを浴び21:30頃寝た。


カフェ

終わり

0 件のコメント:

コメントを投稿