2012年12月27日木曜日

航海57日目10月19日(コロンビヤ カルタヘナ)

2012年10月19日(金)57日目

コロンビヤのカルタヘナ入港曇り。現地時刻:日本時間ー14h。歩数::15,165歩、約8.6km

オプショナルツアー:カルタヘナK「カルタヘナ観光と民族舞踏ショー鑑賞」12,000円

3:00起床。少し遅い目覚めだ。9階自販機で「生茶」を買いながら空を見たが、曇っているらしく星は見えない。8階プロムナードデッキ左舷側で店を広げる。今日は左舷側に誰もいない。昨日はマチュピチュで感動した話をたくさん聞いた。

今日はコロンビヤのカルタヘナに入港の予定である。ツアーはK「カルタヘナ観光と民族舞踏ショー」を取っている。173名の参加だ。夕食付きである。船のレストランでの食事が大変気に入っているので、本当は現地のレストランで食べる必要はないのである。しかし申し込んだ時は現地の食事をしてみたい、と思ったためである。

5:10頃10階デッキへ行ったが星が見えないためか、星を見る会のメンバーはいなかった。今日は企画は全て休みである。8時からダンスの練習があると、RIちゃんから誘いを受けた。それまではPC作業を継続する。

7:00朝食。4階レストランへ行った。マチュピチュの評判が話題となった。私の選択ミスの原因は、例えば南アルプス、北アルプスのような高山の自然環境の美しさを考慮していなかった事である。行った方の感動を聴いていると、霧が・・・、虹が・・・、と自然現象の美しさを言っている。マチュピチュツアーは3,000メートルの自然と天中遺跡との複合の世界だったのだ。

朝食後、11階デッキの人のいないところから、家へ電話した。ちょっと音質はよくない。まだ港は遠いからだろう。


南米コロンビヤ


進行方向の景色


11階デッキから10階デッキ9階レストラン


水先案内人が乗り込む


水先案内人が乗った時に
掲げる赤と白の旗(真ん中)

港の入り口に要塞


要塞のズーム写真

港に入ってからは水が濁っている

カルタヘナ港入り口付近(動画)



高層ビル、ニョキニョキという感じ


ペリカンの仲間

10時半頃着岸した。近くの桟橋にはカナダの軍艦が停泊し、小銃を持った兵隊が甲板で見張っていた。窓がなく、レーダーがいくつかついていて小型の軍艦である。ピースボートと軍艦のツーショットを後で撮影しよう。


隣にカナダの軍艦  窓がない


見張りは小銃を持っている


出迎えの民族衣装の人たち

12:00昼食

北海道の囲碁の強いSさんの隣となり、向かいは若い女性3人であった。今日のツアーが話題である。

私は先日のように現地料理をおそるおそる食べるのが辛い、と話した。最近は船のレストランの料理が一番いい、との主張の賛同者が増えている。食べ物で自分の習慣を替えたくない、ということへの賛同者の増加と考えて良い。もう現地の料理を楽しむ、という余裕より、胃袋への負担を軽くしてやりたい、という気持ちが強いのである。

でもツアーでの現地料理は食べ続ける。やめてしまうと帰国後、後悔するのに決まっているからである。

13:45ツアー集合

カルタヘナK「カルタヘナ観光と民族舞踏ショー鑑賞」は173名参加でバス5台に分乗した。アンコールワット、エジプトピラミッドで顔見知りとなった秋田からのTさんと同じK-5となった。一昨日マチュピチュから帰ってきたばかりであるが、疲れはなさそうである。バスは狭い。

カルタヘナには、コロンビヤ4,700万人のうちの100万人が住んでいる。50%がカトリック信者である。カルタヘナはマンガ島にある。マンゴーがたくさんあったためマンガ島と言われた。旧市街と橋で結ばれている。

中南米大陸への第一歩


周囲の様子


車窓から街並み


綺麗


綺麗


御屋敷からの車

今までのツアーと違い若者が多い。ジャパングレースの勧めを受け入れ、安全が不安なので単独外出を自粛したのだろう。

この町は地下資源で裕福であったために英仏始め各国の海賊に攻められたそうで、要塞が作られている。要塞は湾に入る地点にもあった。深刻な問題だったのだろう。これから行く要塞は、1657年オランダ人が95年かけて作ったもので、南北アメリカで最強の城塞だった。66の大きな大砲を備えていた。アフリカからの奴隷が使われたようだ。これが中南米最初の訪問地である。

相変わらずワンダラーの売り込みが多いが、エジプトピラミッド周辺ほどではない。


サン・フェリペ要塞


たくさんの人が要塞に寄った

カルタヘナは50%がカトリック信者らしいので遺跡は教会が主であるのは当たり前である。宗教裁判所跡もあった。主に改宗をしない人の裁判をやったらしい。カトリックへ改宗しないと即死刑だったようだ。

旧市街地は歴史と共に落ち着きのある街並みであった。


教会


海からの侵入に備えた城壁跡

城壁跡に大筒が

修道院から現在5つ星の
ホテルに変わった建物

城壁跡からカリブ海を臨む

真正面屋根がドーム型の城壁見張り台


サンピエトロ教会


雨が降り続き雨水が
溜まっている    今は雨季


旧市街街並み


お店 中南米はこういう色の
布製のバッグ類が多かった


サンクラベール寺院


サンタクレサ広場


1811年11月11日カルタヘナが
スペインから独立した時の2つのベル


教会内部


サンピエドロ神父が18世紀神父だった教会


このオオムがうるさい バカヤロウという


200年経つ木


教会内部     この下に
18世紀に生き、後に聖人となった
サンペドロ神父の遺体がある


法王からもらったピアノ


街並み


観光用の馬車


州政府庁舎


カルタヘナの大聖堂


日時計部分のアップ


私たちのグループの旗

周辺(動画)


教会


シロンモリバル広場
(後から掲載の地図赤5番)


コロンビヤ、ベネズエラ、ペルー、ボリビヤ等5つの国を解放した英雄の銅像


教会(もしかしたら
宗教裁判所だったところ
だったかもしれない)


これが我が組K-5


街並み


はでな色彩の衣装  頭には野菜類の入った籠が


なにかの撮影風景


青組のお通り

地図上部


地図下部

ボペダスの土産屋は複数の店の複合体である。びっくりするぐらいの物がないかぎり、土産はもう買わない。船室内の荷物を置くスペースがなくなってきているのだ。のどが渇いたので、コーラを1usドルで購入したが、まるで味がしない。


ポベダスのお土産屋さんで
コーラ1usドル
おいしくなかった

「アドルフ・メヒア劇場はよくTVでみるベランダのある劇場である。民族舞踏を鑑賞した。

その後夕食会場のレストランへ。おいしかった。我々は早い組の食事であり量が少ないくらいで済んだが、後の組の20人はビュッフェの食材がなくなってしまい、大変なことになったようだ。船に早く帰り、船のレストランで食事をしようとする若者もいる。船ではほとんど食べ放題である。(後日談:後日一人3,000円の返金があった)


アドルフォ・メヒア劇場
美術がよみがえった

アドルファ・メヒア劇場内部


現地有名人デザイン


民族舞踊


民族舞踊①(動画)

民族舞踊


民族舞踊

民族舞踊②(動画)

このレストランが夕食会場


レストラン内部

20時近くに船に帰ってきた。オーシャンドリーム号と隣のカナダ軍艦のツーショットを撮った。

隣のカナダ軍艦とのツーショット

秋田のTさんが船でラーメンを食べよう、というのでなみ平へ行く約束をして船室へ戻り用意をした。船室友からカサブランカで飲もう、という伝言があったのでまずカサブランカへ行き、先約があるので断りのあいさつをした。船室友達の同席者は福島の人とその船室友であった。

なみ平では北海道人会の人が一人での食事を終わっていたので広い席の我々のテーブルに加わるよう誘った。やがて秋田のTさんが来て3人で乾杯をした。やがて秋田のTさんがマチュピチュから感動をもらった話を始めた。体調を崩した人もいたらしい。体調を壊さなかった人は皆感動をもらったのだろう。

相変わらず、集合時間に遅れるとか、皆にいつも迷惑をかける男Mは今回もいつもと同様に、迷惑をかけまくったらしい。それでジャパングレイスの男の添乗員は痩せてしまったようだ。マチュピチュの話は、兄妹で参加しているお兄さんのやっちゃんも加わり大盛況であった。聞いているだけで楽しかった。


22:40港の夜景

終わり

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